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表紙

リネットの海  18



 それでもリネットは、急いで食事を終えて立ち上がった。 親しみを見せてくれた人だし、知らん顔もできないと思った。
「ちょっと行って挨拶してきます」
「ご自由に」
 ハワードはてこでも動かない構えで、ワイングラスに手を伸ばした。

 リネットが近づいていくと、窓近くの特等席にふわりと腰を下ろしたシャンタルは、神秘的な緑の眼を大きく見開いて、意外そうな顔になった。
「まあ! ハリナムで会った娘さんじゃないの! あなたもリヴァプールへ?」
 ちゃんと覚えていてくれた。 リネットは嬉しくなって、にこっと笑った。
「はい。 ここでまたお会いできるとは思いませんでした」
 長く裾を引いたドレスを片方にまとめて、シャンタルは深い溜め息をついた。
「そうなのよ。 さあ、ここに座って。 立ってちゃ疲れるわ。
 せっかくハリナムまで足を伸ばしたのに、ぜひ顔を見たかった人があいにく留守でね。 仕事の予定があるから、仕方なくとんぼ返り。 がっかりよ」
「ここの劇場に出演なさるんですか?」
 リネットの顔が輝いた。 明日に公演があるなら、見に行きたい。 シャンタルがどんな演技をするかとても興味があるし、少なくとも時間つぶしにもってこいだ。
 だが、シャンタルは力なく首を振った。
「違うの。 また旅。 スペインを巡業して回るのよ。 マドリッドやアンダルシアなんかをね」
 今度こそ、リネットの眼がまん丸に見開かれた。 スペインだって? なんて偶然!
「私も、私もスペインへ行くんです!」
 無意識に声が高くなった。 シャンタルもびっくりして眉を吊り上げた。
「まあ、おちびさん一人で?」
 おちびさんと言われたのは少々くやしかったが、リネットはめげずに後ろを手で指し示してみせた。
「いえ、連れと一緒です。 あそこにいる男の人」
 シャンタルはその方向に目を向けた。 少しじっと見ていた後、いぶかしげに呟いた。
「だれ?」
「ですからあそこの……」
 振り向いて確認しようとしたリネットの動きが止まった。
 さっきまで食事を取っていたテーブルには、誰もいなくなっていた。




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