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リネットの海  13



 太陽がすっかり地平線に没してから、汽車はリヴァプール駅に着いた。
 リネットは網棚から荷物を下ろし、がやがやと降りていく乗客の列に混じった。 無愛想でもあんがい親切なハワードに挨拶していきたかったが、彼はもう見えなかった。 汽車が停まると、すぐに荷物を取って、さっさと車室を出てしまったのだ。

 駅の時計では八時二十一分だ。 もう船の切符は買えない。 こんなに遅くては券売所は開いていないだろう。 今晩はどこかへ泊まらなきゃ。 リネットは、重い荷物を右から左へ持ち替えて、駅舎から外へ出た。
 夜の港町は、あちこちに灯りがついていて、結構にぎやかだった。 道が二手に分かれているので、どちらにしようかと迷っていると、車室で隣りにいた編物おばさんが右手に曲がるのが見えた。 あの人についていこう、と決め、リネットは、駅前の小さな広場を右に歩いていった。
 やがておばさんは、少し暗くなった横道に曲がった。 リネットもそっちへ曲がろうとした。
 小走りの足音が近づいてきて、不意にハワードが目の前に立った。
 彼は、難しい顔をしていた。 そして、低い声で叱りつけるように言った。
「こっちは暗黒街だ」
「暗黒街?」
 灯りがなくて暗いのか、とリネットが首をかしげると、ハワードはあきれた表情で片眉を吊り上げた。
「暗黒街も知らないのか? 犯罪者や麻薬患者の巣だ。 若い娘がうっかり紛れ込んだら、ひどい目に遭う」
 人さらいとか…… リネットの首筋がヒヤッとなった。
「行き先はどこなんだ?」
 続いて訊かれて、リネットは困った。
「ええと……」
「やっぱり」
 あきれた、という口調で、ハワードは小さく首を振った。
「家出娘なんだな」
「ちがいます!」
 とたんにリネットはむきになった。 父のところへ行くのが、なぜ家出なんだ!
「目的地はあるわ、ちゃんと。 今夜は遅くなったから、どこかで泊まらなきゃいけないけど、明日にはまた出発するの」
「どこへ?」
「スペイン」
「一人でか!」
 あっけに取られた顔を目にしたとき、ひらめいた。 無鉄砲だが、やってみる価値はある。 何かを思いついたときの癖で、眼が忙しく動き、きらきら輝きはじめた。
「ハワードさん」
「なんだ」
「ハワードさんは、何の用でここへ?」
「仕事だ」
「長くかかる?」
「いや、すぐ済むと思うが……なせそんなことを訊く?」
 両手を胸の前で組み合わせて、リネットはできるだけ可愛らしく訊いた。
「スペインへ観光に行ったことありますか?」





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