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表紙

リネットの海  12



 しゃべり過ぎたと思ったらしく、男はまた脚を組んで、裏返した新聞を読み始めた。
 リネットは、しばらく窓の外を過ぎていく景色を眺めていたが、だんだん人恋しくなって、男に話しかけた。
「おじさん、どこまで行くの?」
 おじさんと呼ばれた男は、眼鏡越しにジロッと見返した。
「リヴァプールだが」
「そうなの? 私もよ!」
 嬉しくなって、リネットは声を上ずらせた。
「リン・カーギルっていうの。 おじさんは?」
 きりっとした口元を更に引きしめて、男は少しためらった後、仕方なく答えた。
「ハワード」
「名前? それとも苗字?」
「苗字だ。 R・O・ハワード」
「R・O……」
 暇つぶしの種を見つけたリネットは、さっそく考えはじめた。
「ロバート・オリヴァー?」
「違う」
「じゃ、ロナルド・オスカー」
「かすってもいない」
「じゃ……リッカルド・オルランドー」
 生真面目なハワードの顔がほころびかけた。
「僕がイタリア系に見えるか?」
 リネットは遠慮なしに、向かい合った相手を観察した。
「青い眼と茶色の髪……どこの人といってもおかしくない感じ」
「それだけ平凡か」
 平凡? この人が?――そのとき初めて、リネットはハワードに、他を圧する雰囲気があるのに気がついた。 おじさんと言ってもせいぜい三十代前半ぐらいだが、さっき年長の車掌を呼びつけたとき、キャメロン車掌はすぐに従った。 彼に命令されることに、何の疑いも持たない様子だったのだ。
 ――頼もしい人と知り合いになったかも――
 リネットの眼が輝き出した。 転んでもただでは起きない。 それが彼女のモットーだった。


 夕刻になって、汽車はマンチェスターに着いた。 目的地の港町リヴァプールまでは、もう一っ走りだ。
 マンチェスターの駅は大きくて騒がしく、乗降客が多かった。 ハワードと二人きりだった車室にも、帽子に花を差した気ぜわしそうな女と、陰気な顔をした若い男が乗り込んできた。
 女は、リネットの隣りに座るとすぐに、大きな手提げ袋から毛糸を取り出して、せっせと編み始めた。 ハワードは、ソフト帽を目深に引き下ろして座席に深く寄りかかり、周囲に何の関心もない様子だった。
 もう二人で気安く話せないので、リネットは窓にもたれて、次第に暮れていく空を眺めた。 いろんなことがあった一日だが、妙にゆったりした気持ちだった。





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