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表紙

リネットの海  5



 翌日の午後、リネットは広々とした前庭を突っ切り、サンザシとツツジの間を抜けて、隣りの家との境界に行った。
 低い塀際で、リネットは口笛を吹いた。 二つ短く、一つ長く。
 間もなく、隣家の窓が開いて、栗色の縮れっ毛をゆるくピンクのリボンでまとめた少女の顔が現れた。
「すぐ降りていくわ。 ちょっと待って」

 言葉のとおり、二分も待たせないで、ディーディーの小柄な姿が裏口から飛び出てきた。 子鬼のように元気なディーディーは、規格外れのリネットにとって、ただ一人と言える親友だった。

 壊れた塀の角が、いいベンチになった。 二人の少女は並んで座り、顔を寄せ合って内緒話を始めた。
「ディーディー、私、旅に出ることにした」
 上げても上げても垂れ下がってくる前髪を、うっとうしそうにリボンを回して止めようとしていたディーディーは、びっくりして両手を上げたまま固まってしまった。
「旅? 誰と?」
「一人で」
「リン!」
 ディーディーだってリネットの冒険好きは知っていた。 いつも父と旅に行きたくてうずうずしていることも。 だが、単独で出かけるなんて、そんな危険なこと、さすがに賛成できなかった。
「一人は無理よ。 家出娘がどんな目に遭うか、こっそり買ったパルプ雑誌に出てたじゃない。 売り飛ばされたり、殺されちゃったり!」
「ディーディー。 あれは何の準備もしないでふらっと出ちゃうからよ。 それに、行きずりの人の甘い言葉に簡単に引っかかっちゃうし。 用心すれば平気よ」
「でも……」
「聞いて。 ハリナムから汽車でリヴァプールに行って、港から行きの定期船に乗るつもり。 そこからまた汽車でマドリッドに行って、モレナ・ホテルを見つけて、お父様たちがどこで作業しているか聞き出すの」
「ああ、なんだ」
 父親と聞いて、ディーディーはいくらか安心した。
「お父さんに会いに行くのね」
「そう。 お母様の写真と形見を持っていくの。 仲のいい両親だったんだもの。 お別れをさせてあげなきゃ」
「その気持ちはよくわかるわ。 でも、なんで一人じゃなきゃいけないの? 執事のウィルバーグさんとか、工場長のストリンガーさんに、一緒に行ってもらえばいいのに」
 リネットは顔をしかめた。
「二人とも仕事が忙しいし、おまけにどっちも道連れになんかなってくれないわよ。 『いけません、お母様を弔ったばかりなのに旅行なんてとんでもない! 良家のお嬢様は喪に服して、家でおとなしくしているものです』、でお終いよ」
 胸を張り、顔を大げさに上下に動かして真似をする口ぶりが、いかにも堅苦しい中年男じみていて、ディーディーは肩を震わせてクスクス笑った。




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