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リネットの海  4



 葬儀が終わった二日後、父の友人で事業仲間でもあるパーシー卿から手紙が届いた。 それによると、彼等は郵便局もろくにない海辺の小さな漁村で引上げ作業をしていたという。
『……久しぶりにわたしだけマドリッドに戻り、電報を受け取りました。 母上のこと、心からお悔やみを申し上げます。
 現在は作業のもっとも重要な段階ですので、すぐに本土へ戻ることはできないと思いますが、引き上げが一段落ついたら必ずマーカスをお返しします。 それまで心を強く持って、お屋敷を守っていてください』

 二度手紙を読み返して、リネットは考えにふけった。 父が今すぐ帰れないと聞くと、なおさら会いたくてたまらなくなった。
――もうお母様が亡くなってから一週間。 家の中が静かすぎる。 お母様と一緒に家の魂も飛び去ってしまったみたいだ――
 いらいらと爪を噛みながら、リネットは部屋を歩き回った。 落ち着かない。 じりじりととろ火であぶられるような焦りが、心を覆った。
 母の最後の言葉が強烈に蘇った。 待っているだけではつまらない、と苦々しく呟いたあの言葉が。
――そうだ、ここでじっとしてたって何も起きないんだ。 私が喪服を着て、こうやってぼうっとしている間にも、お父様は海の底から昔の船を引き上げている。 なんてロマンがあるんだろう。 それに、夢も――
 もう我慢できない気がしてきた。 リネットはいきなり小さな椅子にトンと座り、ノートを広げて大ざっぱにヨーロッパ地図を描き、イギリスの下端からスペインの上まで線を引いてみた。
 それから勢いよくから立ち上がると、窓際に行った。 トネリコの木がそよぐ広い裏庭を飛び越えて、はるか彼方の地平線を見渡すために。
 やがて、考えがまとまって一つの計画になった。 今こそ人生の船出の時。 まずお父様の図書室に行って、地図を調べよう。 お母様が病気の間、家計は取り仕切っていたから、銀行預金の出し方はわかる。 ハリナムに出て、列車に乗って、まずリヴァプールまで行って…… 胸が大きくどよめいてきた。 まだ二十歳にもならない娘が一人旅をするのは、大変危険なことだ。 わかってはいるが、父譲りの冒険精神が、もう止まらなかった。


 それから三日間を、リネットは準備に費やした。 買い物をすると言って、雑用係のベイリーに馬車で町へ連れていってもらい、預金から八百ポンド引き出してきた。 千ポンド以上だと大金すぎて怪しまれると思ったからだが、八百ポンドでも一度に手にしたのは初めてで、心臓がどきどきした。
 その上にリネットは、丈夫な靴とおとなっぽい地味な服を、古着屋で買った。 護身用のピストルも欲しいところだが、どこで手に入れればいいかわからない。 父の書斎の引き出しにあったナイフを持っていくことにした。




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背景:トリスの市場
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