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表紙


――ラミアンの怪物――

Chaptre 67

 すわ追いはぎか! と青くなって、レジスは普段当てない鞭を馬の尻にピシッと置き、急がせようとした。 ところが、慣れない仕打ちに馬は怒って、走り出す代わりに大きくいななきながら竿立ちになってしまった。
「どうどう! 落ち着け! 走ってくれよ、後生だから!」
 泣きそうになって手綱をしごくレジスの横に、蹄の音がどんどん近づいて、遂に並んだ。
 艶々した見事な牡馬から、美しい弧を描いて若者が飛び降りた。 マントの下にふくらんだ袖のシャツと毛皮の袖なし上着をまとい、形のいい脚には、ぴたりとしたタイツを穿いて、高い身分なのが一目でわかる姿だった。
 彼は、慌てているレジスに目もくれなかった。 実際、視野に入っていなかったのかもしれない。
 彼はただひたすら、その横に座ったすらりとした少女を、無言で見つめていた。

 ガランスも、吸い寄せられるように彼を見返した。 栗色の優雅な巻き毛と、柔らかな輝きをたたえた空色の眼は、粗末なごわついたシャツとズボンではなく、今の華やかな身なりにこそ似つかわしかった。
 胸を突き破りそうに、心臓が高鳴った。 だが、懸命に平静を装い、内気な笑みを覗かせて、ガランスは先に口を切った。
「怒っていらっしゃるでしょうね。 でも、もう事情はおわかりのはず。 皆さんと相談して始めた計画です。 勝手に私の口からしゃべるわけにはいかなかったんです」
 ヴァランタンは、声では答えなかった。 ガランスを見つめ続けたまま、馬の前を通ってゆっくりと回り、馬車の反対側に来た。
 そして、いきなりガランスの手を取ると引き寄せ、眼を閉じて唇を押し当てた。

 ガランスだけでなく、傍で身を縮めて見ていたレジスまでが、棒を飲んだようになった。 固まって動けなくなった二人を気にせず、ヴァランタンは冷えたガランスの手を両手に包んだまま、緊張でかすれた声で訴えた。
「去らないでくれ。 わたしは他の誰でもなく、あなたのために戦った。 あなたは、今でも変わらずわたしの姫だ。 命を賭けて守りたい、大事な姫……」
 心が高ぶって、声が途切れた。 言葉にならず、しゃにむに手のひらに頬ずりする若者を、ガランスは胸を震わせて見守った。
 やがて、どうにもならないほど想いが高まり、ガランスの唇から熱い吐息が漏れた。
「若様……」
「あなたが愛しい。 そのまっすぐな心が、澄んだ眼差しが、たまらなく愛しい!」
「でも私は」
 ただの小間使いです、と言おうとして、ガランスは男の燃える瞳の強さに射すくめられた。
「あなたの心を言ってくれ。 本心を。 わたしを嫌いではないはずだ。 階段の上で体当たりして、オーレリーの矢から救ってくれた女性の影、あれはあなただった! そうだろう?」
 反射的に、ガランスは顔を背けた。 図星だったのだ。

 ペンダントを見て彼の素性を知ったとき、ガランスの胸を満たしたのは、切なさと、深い安堵の思いだった。
 あんなに近くにいたにもかかわらず、彼女は姫を守れなかった。 斧をかざして寝室に躍り込んだとき、姫の上半身は切り裂かれ、瞳はもう光に反応せず、虚しく見開かれていた。 絶命しているのは、一目でわかった。
 その瞬間の絶望と憎しみを、ガランスは昨日のことのように思い出すことができた。 姿が似ているだけに、自分が殺されたような気持ちにさえなった。
 本当に後追い自殺も考えた。 しかし、コリンヌに強く止められ、復讐に心を向けた。 何としても、どんな手を使っても、真犯人である妃の尻尾を掴み、白状させ、処刑する! それだけが、ガランスの生きがいとなった。






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