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表紙


――ラミアンの怪物――

Chaptre 32

 押えた声が投げかけられた。
「誰?、コリンヌ?」
「いえ、アンリ・メイヨーです。 緊急の事態になりまして」
 メイヨーは急いでドアを閉じ、ベッドの足元を回って、椅子を置いた側に行った。

 日の出ている時間帯に、ここへ来たのは初めてだった。 天蓋の布地が濃い緑色だということ、緞帳に怪奇な鳥の模様が大きく描かれていることも、初めて目にした。
 そして、青い上掛けを体全体に巻き、頭を頭巾と包帯で覆って、片目と口の半分だけをかろうじて出している、ブランシュ姫の姿も。

 美しいひとだという噂を、遠くで聞いたことがあった。 確かに、ほんの僅かしか見えない一部からでさえ、顔立ちが整っているのがわかった。
 包帯の陰で、姫もメイヨーを観察していた。 不格好な帽子の下から溢れ出た栗色の豊かなカールと、澄み切った空色の眼、まっすぐな鼻筋を、視線が何度も往復した。
 メイヨーは身をかがめ、早口で報告した。
「シモーヌ様とナダール警護官が、水晶の間近くで密談していました。 焦っているようで、下品な言葉遣い丸出しでした」
 ベッドの上に半身を起こして聴いている姫の肩が、すっと持ち上がった。
「シモーヌ殿は、ルーアン近くに住むお父様の親戚の推薦状を持って、四年前にやってきたのです。 私の乳母が卒中で死んだので、代わりに付き添い役をやるはずでした。
 でも、来て一週間も経たぬうちにお父様に気に入られ、すぐに後添えということになりました。 あれよあれよという間に」
「その推薦状は、本物だったのでしょうか?」
 二人の若者の目が合った。 どちらも青かったが、姫のほうがいくらか色が濃く、神秘的な輝きを放っていた。
「たぶん。 ても、推薦状を書いた親戚のバルビエ男爵は、相当の老人で足が不自由なの。 とても、このベルボワールまで旅するのは無理。 だから、本物のシモーヌ殿かどうか確かめに来ることなどできないでしょう」
「つまり、ここへ来る途中で、誰かが本物のシモーヌ様とすりかわったとしても」
 また二人は目を見交わした。 姫が、ゆっくりと相槌を打った。
「ばれないでしょうね」

 そのときだった。 ごくかすかな物音が、メイヨーの耳に届いた。
 針が落ちたほどの、本当に小さな音だったが、メイヨーはただちに行動を起こした。
「敵かもしれません。 寝台の下に隠れます」
 姫に短く囁くと、彼はまるで鰻のように、するっとベッドの下にすべり込んで、見えなくなった。






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