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表紙


――ラミアンの怪物――

Chaptre 21

 水差しを再び小机の上に戻すと、男は次に、腰から筒型の物を外し、中身を水差しにそそぎ入れた。 そして、相変わらず幽霊のように静かに、窓から出ていこうとした。
 その背後に、低い声が浴びせられた。
「今、何を入れたの?」

 若い背中が、板を打ち付けたように強ばった。 窓の隙間にかけた足を、ゆっくりと降ろした後、男は素早く振り返った。 ささやき声が、夜の空気を揺らした。
「いつから……気付いていらしたんですか?」
「鎧戸をこじ開けたときからよ」
 男は椅子の背に手を置き、控えの間に気を遣いながら、更に声を落としてしゃべった。
「水です。 きれいな山の小川から採ってきた水。 ご心配なら、今飲んでみせましょうか?」
「いいえ、いいわ。 それより、窓を閉めてこっちへ来て」
 あまりにも意外な言葉だった。 男は、逆に焦って、支えていた椅子を倒しそうになり、あわてて立て直すと、窓に近寄って鎧戸を閉じた。
 ぎこちなく戻ってきた男に、寝台の上から再び質問が飛んだ。
「父上に頼まれたの?」
「いえ」
 男は口ごもった。
「妙だなと思ったんです。 街道の宿場町で、このお城に起こった事件を聞いて」
「妙なことだと?」
「ええ」
 熱心になって、男は寝台に身をかがめた。
「お城へ旅芸人たちが現れ、興行した後、熊を置いて逃げていってしまったそうですが、これは変です、どう考えても。
 ヘマをして罰せられるのが怖くて逃げたんでしょうか?
 そんなわけはないです。 熊を訓練するのは大変なんです。 子熊のときから辛抱強く教えこんで、少なくとも二年はかかります。 その大事な熊を、探しもしないでただ置き去りにするわけがない。 目的があったはずです」
 暗闇に包まれた天蓋の中で、かすかな衣擦れの音がした。
「襲わせるためね。 この私を」
 その口調は、水のように冷静だった。

 男は、すっと寝台の横に膝をついて、熱心に話を続けた。
「そう思いました! 一日がかりで街道を歩いてきて、アゼマの森近くで『青猫亭』の事件を知ったときに、俺の考えは正しかったと!
 『青猫亭』のことをご存じですか? そういう名前の宿屋で、四日前に若い女中が攫〔さら〕われました。 見つかったのは一昨日ですが、たぶんその夜のうちに殺されたようです」
「やはり、熊に?」
「はい」
 重い吐息が、天蓋をかすめた。
「その娘は、何歳ぐらい?」
「たしか、十七です」
 寝台の声に、かすれが入った。
「同い年だわ……。 その子は、予行演習に使われたのね」





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