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表紙


――ラミアンの怪物――

Chaptre 7

 灯りといえば、壁のところどころに差した松明〔たいまつ〕と、テーブルを照らす数十本の蝋燭のみ。 ぼんやりとした照明の中でうごめく黒っぽい野獣は、昼日中に見物するより一回り大きく、まがまがしくさえ見えた。
 ざわめく婦人達に気を遣って、だんだら服が獣使いに合図し、鎖を引かせた。 熊は、乗っていた低い台の上を少し移動して、大きな顔の周辺がはっきり人目につくようになった。
「ご心配は無用です。 これ、このように頑丈な口輪をはめ、太い鎖でつないでおります。 また、片方の後ろ足を足かせで台に止めていますので、不意に飛び出すこともございません」
 そう言いながら、だんだら服はわざわざ壁の松明を外して、熊の足元を照らしてみせた。 炎が近くに来たのを怖れた熊は、ひるんだ様子で後ずさりし、低い唸り声をあげた。
「よしよし、熊公、落ち着け、落ち着くんだ」
 小声でなだめた後、だんだら服は、すっくと背中を伸ばした。
「さあ、お客様方、お立会い。 熊は確かにここにおりますね?」
 妙な質問だった。 当たり前じゃないかとばかり、客の一人がふざけた口調で言い返した。
「いるよ。 見事な大きさだ。 わが森に放って狩りをしてみたいが、売ってくれるか?」
 わっと笑い声が続き、だんだら服も白い歯を見せた。
「いえいえ、せっかくですがご希望には添えません。 この熊公は大切な商売道具。 我等が食いつなぐ手立てですからな。
 さあて、熊公を皆様にとくと見ていただいたところで、我等が芝居は幕を引きます。
 ただし、アンコールがございますので、今しばらくお席を立たないよう、お願い申し上げます」
「アンコールってのは、客が望んで出てくるものじゃないのか?」
 酔客がからかい、また笑いの波が走った。 だんだら服は大げさに頭をかいて恐縮し、落ちた幕の片端を拾い上げた。
「これは言い間違いましたな。 まだ見世物は終わりではないと申し上げたかったんです。
 今ご覧に入れております熊公、見るからに大きく凶暴そうですが、これがもし、かわいらしい子羊に変身いたしましたら、皆様どう思われます?」
 客はお互い顔を見合わせ、中には手を振って馬鹿にする者もいた。
「できるものか! 同じ檻に入れておいたら食われてしまうだろうに!」
「その、ありえないことを今起こしてみせましょう。 ちょっとお待ちを。 ええと、にわか作りの上、壁に傷をつけてはいけませんので、幕を一度落とすと元へ戻せないんですよ。 これ、ゴライアス、こっちを持ってくれ」
 柱に寄りかかったままの緑マントは、ゴライアスという芸名らしかった。 だんだら服が幕の端を渡そうとすると、ゴライアスは、いかにも疲れきった様子で左手をマントから出し、左右に振った。 息の切れた声が囁いた。
「無理だ〜。 おら疲れちまって、台所女中のスカートも持ち上げられねえだ」
 いささか品のない冗談に、男性客たちは笑い、女性客たちが目配せしあっていると、だんだら服はプンと怒って、猛獣使いの小柄な男に幕の片端を掴ませた。
「そんならいい。 お前やれ。 俺がこっちを持つ」
 危なっかしく、紺色の幕が持ち上がった。 二人の身長が十五センチほど違うので、腕を上に一杯伸ばすと、幕は不格好にも斜めになった。
 再び小太鼓が遠雷のように鳴り轟いた。 その間、二人の幕持ちは、大げさに紺色の布をヒラヒラと揺らしつづけ、見物客たちを集中させた。
「それでは、ここで最後の大変身をお見せして、我等が出し物を終わらせていただきたいと存じます。 お付き合いくださいまして、まことにありがとうございました」
 語尾が一段と高く跳ね上がった。
 同時に、幕が二人の手を離れ、再び石造りの床に落ちた。

 ほおっという、嘆声とも溜め息ともつかぬ音が、広間のあちこちから立ち昇った。
 幕の後ろは、空っぽだった。
 さっきまで確かに首を揺らし、光る目で客達をねめつけていた黒い熊は、跡形もなく消え失せていた。





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