表紙 北風と陽だまり 22
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 弘治がさかんに売店の話をしていたが、麻知には半分も聞き取れなかった。 彼女がポケーッとしているのをいいことに、弘治は『春夢荘』のできるだけ出入り口に近いコーナーをせしめ、推薦状にサインまでさせてしまった。
「法的効力はないけどね、女将さんだってまっちゃんの頼みならあんまり断らないだろうし」
「うん」
「明日さっそく見に行くわ。 よろしくっ」
「うん……」
「なあ、送っていこうか? なんか目が虚ろだよ」
 とたんに焦点が定まった。 送られてたまるか。 こっちには行く場所があるんだ。
「いや、一人で帰れる。 だいじょ文鳥」
「ケッコーカッコーコケッコー」
 小学校低学年時代のアホなギャグを交換して、二人は席を立った。


 交差点で弘治とバイバイした後、急ぎ足で狭い舗道をたどっていくうちに、心臓が喉につかえそうになってきた。
 付き合ってください!――はっきりした男らしい声が、頭にエコーしている。 あんなこと堂々と言う人だったか? 確かに遠慮なく悪口は出てきたが、(それはこっちも同じだが)、少なくとも二十人は証人のいる店内で、ワーッと勢いで告〔こく〕ってしまって、もし、ごめんなさい、なんて言われたらどうするつもりだったんだ。
 地方都市の怖さを知らないな、噂はマッハより速いぞ、と思いながら、麻知はなんとかバッティングセンターにたどりついたが、いろいろ悩んだ道中だったので、日ごろの倍は疲れた。

 理人は受付の前にあるベンチに座っていて、麻知を見るとすぐ立ち上がった。
「外に車待たせてあるんだ。 そっちへ行こう」
「あれ? バッティングは?」
「オレできない」
 えらくきっぱりと言い切って、彼は上手く麻知の肘を取ると、さっさと歩き出した。 行きがかり上、麻知も歩幅を合わせてとことこと並んでいった。



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写真:ivory
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