表紙 北風と陽だまり 12
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 麻知が看板の横に身を隠すようにしていると、少し遅れて二人の男が橋を渡って来た。
「歩くのも疲れたな。 あの店に入ってゆっくり話そう」
「あの茶店〔さてん〕?」
「そう。 おまえアルコールだめなんだろう?」
「ああ」
 二人は仲よく『バルト』という喫茶店へ入っていった。 他にも数人客がいたので、好奇心いっぱいの麻知は帽子を目深に引きおろし、そっと後から入って、うまく観葉植物の陰になる場所で、池内氏と背中合わせの席を取った。 どうしても二人の関係を知りたかった。 なぜなら、池内の向かいに腰かけて注文を取りに来たウェイトレス嬢と話しているのは、麻知に無差別嫌がらせ攻撃を仕掛けてきた、あのヤローだったからだ。

 水を一口飲んで、池内は切り出した。
「それがおまえの感触なのか?」
「そうだよ」
 相変わらずのそっけない口調で、若者は答えた。
「まだ保つったって、設備は古いし、修理費用も馬鹿にならないだろう」
「逆にそういうのがいいんだよ。 都会にはピカピカの新築ホテルがあふれてる。 温泉町に来てまでそれじゃ、ちっとも空気変わんなくてつまらない」
「贅沢に慣れてる若い子でもそうか?」
「だからこそだよ。 のんびりあったまって和室に寝転んで、浴衣着て、が逆に和風エスニックなんだよ」
「ああ……明治は遠くなりにけり、か」
 若者はフフンと笑った。
「明治どころか昭和だって遠いよ。 でもオレはそんなの自慢にしないけどな。 生まれる前のこと知らないんですーなんて、バカさらしてるとしか思えない」
 池内も笑った。
「それはともかく、あそこの女将さんはやる気なくしてるよ。 買収話に飛びついてきたからな。 旅館として続けるなら新しいマネージャー送りこまないと」
「いや」
 若者はきっぱりと言った。
「それは止めといたほうがいいと思う。 あそこの従業員は訓練が行き届いていて、チームとしてまとまってる。 それに、中心になってるのが、もう女将さんじゃないんだ」
「違うって?」
「そう。 生え抜きっていうのかな。 あそこで生まれ育った後継者の娘がいるんだ。 まだ二十二だけど、高校のときからずっと仕事に来てて、温泉の掃除から水道のパッキンの取替えまで全部一通りやったそうだ。 その上、今は普通の仲居さんとして修業の最中なんだ。 他の従業員とまったく同じ扱いで」
「ほう」
 池内は面白そうに呟いた。
「根性あるんだな」
「うん、若くてもプロだよ。 試してみたんだ。 オレがどんな無理難題を吹っかけても、きちんと話を聞いてわかりやすく説明するし、ときには自分が悪者になってその場をなだめるやり方も知ってる。 嫌なことがあっても態度を変えないし。 あれは優秀だ」

 すぐ後ろの席で、麻知はこちんこちんに固まって、茫然としていた。 



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写真:ivory
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