「まあね。 もうとっくに辞めたけどな」
それでも楽しげに、中年男性はボールを打っていた。
負けずに、麻知もスタンスをいろいろ取って飛距離の出る体勢を探した。 工夫しながらバッティングしていると、また男が声をかけてきた。
「筋がいいよ、なかなか。 この町で草野球チーム作るときスカウトするかもな」
「社交辞令でもうれしいっすよ」
麻知は陽気に答えた。 もうストレスは吹っ飛んでいた。
男は、カラッとした麻知を気に入ったようで、うまいラーメン屋を知らないかと尋ね、『紀楽』という店を教えると、ちょっと早いが一緒に食べていかないかと誘った。 狭い町だがラーメン屋なら「おっさんとデートしてる」などと言われずにすむだろうと思い、小腹がすいたこともあって、麻知は一緒に行くことにした。
男はとんこつラーメンを頼み、割った割り箸を豪快にすり合わせた。 麻知は、しなやか細めん・Wチャーシューにした。
男は実にうまそうに食べた。 本当に腹がすいていたらしい。 つられて麻知まで食欲が増殖してしまうほど気持ちのいい食べっぷりだった。
スープを飲み干して、彼は糸のように眼を細くして笑った。
「いい味だ。 ご主人、これ美味しかった。 ごちそうさま!」
後から入ってきた学生二人連れのために麺玉をゆでていた店主が、どうも、と言って頭を下げた。
男は麻知におごると言ったが、麻知はやんわり断った。
「割り勘が好きなんです。 学生気分が抜けなくて」
「あれ、学生さんじゃないの?」
意外そうに、男はジーンズ、シャツ、ジャケットという目立たない服装の麻知を眺めた。
「働いてます。 今日は早番で」
「そうか。 フリーター?」
「いえ、違います」
「そう」
少し考えた後、男は名刺入れを出して一枚取り出し、麻知に渡した。
「転職したくなったら声かけて」
麻知はその名刺をじろじろ眺めた。 アイネス・ホテルチェーン取締役、池内益男――同業者じゃん……って、アイネス・ホテル?
思いもかけぬ一流ホテルの名前に、麻知はラーメン屋のガラス戸の前で立ちすくんでしまった。
池内益男氏は、軽く微笑した。
「うちのホテル知ってるらしいね」
「もちろんです」
声が無意識に高くなった。
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