表紙 北風と陽だまり 5
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 思いついて壁にかけた時計を見上げると、二時半になるところだった。
よーし。 後三十分! 足が少し軽くなった。

 廊下をとことこ歩いていると、配電室から出てきた先輩に呼び止められた。
「ねえ、バーの照明が半分つかないのよ。 どこ動かしたらいいか、あんたわかる?」
 女将さんがやもめなので、この温泉ホテルではむやみに男性に頼らない習慣ができている。 配線でもボイラーでも直せるだけ直すように、マニュアルが用意されていた。
 だがこの先輩、佐藤紀代美〔きよみ〕は非常に機械系統に弱く、カラオケのスイッチさえ入れられない人で、困るとこうやって手当たり次第に後輩を見つけて押し付ける。 掴まったからには仕方がない。 麻知は気持ちよく引き受けた。
「やってみます。 バーで点くかどうか見ていてくださいね」
「わかった」
 責任逃れができたので、紀代美は喜んで階段を下りていった。

 ややっこしいマニュアルと格闘すること八分、ようやくそれらしい配電盤が見つかった。 下がっているレバーをカチッと上げ、携帯で紀代美にかけると、すぐ返事があった。
「ついた! オッケーよ。 ありがとね」
「よかった。 じゃ、もうじき三時なんで上がらせてもらいます」
「ああ、今日は早番か。 ちゃんと引継ぎしといてよ」
「はい」

 さて、これから何をしよう。 一般人は仕事の時間だから遊んでくれる相手はいない。 同じ早番の境なつきとはうまが合わないし、おとなしく部屋に帰って積みゲーでも消化するか、と、まったりした気分で控え室へ歩を進めていたとき、またまた麻知はあの男にでくわしてしまった。
 正確に言うと、あいつの尻にだ。 体を直角に折り曲げるようにして、男は何かに手を伸ばしていた。
 それが低めに取り付けられた火災報知器だと悟ったとたん、麻知はつかつかと歩み寄って横に並んだ。 男は驚いて、ばねのように体を伸ばし、気をつけに近い姿勢を取った。
 できるだけにこやかに、麻知は尋ねた。
「どうなさいました、お客様? 何か不都合でも?」
 普通にしていれば綺麗な顔をつまらなそうに歪めて、男は答えた。
「こんな古い型使ってて大丈夫か? 失火で焼き殺されるのはごめんなんだからな」



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写真:ivory
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