表紙 北風と陽だまり 4
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 すれすれでよけたので、男の子は麻知に直接さわっていなかった。 だからカーペットにでも足を取られて転んだのだろうと思って、なにげなく膝を折って助け起こそうとしたそのとき、前から来て立ち止まった男が麻知に向かって鋭く言った。
「だめじゃないか。 あんたが足引っ掛けたんだろ?」

 えーっ? 危うくのけぞって尻餅をつきそうになった。 何という言いがかり! おまけにこの無愛想で皮肉な声は……!
 目線をあげると、若い顔が視野に飛び込んできた。 さっきはデジタルカメラを構えていたので顎の線しか見えなかったが、全体として見ると……なんと男前だった。
 認めたくない。 まったくしゃくにさわるが、おおっと思うぐらい清々しい顔立ちで、いかにも育ちのいいお坊ちゃん風だった。
 くっそー。 こいつ、わざと子供を倒しやがったな―― 一秒の十分の一ぐらいの間に、そう麻知の頭にひらめいた。 とたんにマグマ的怒りが噴火しかけたが、ここは花畑ではなく、ホテルのラウンジのど真ん中だと、わずかに残った理性が引き止めた。
 泣き喚く子供を優しく立たせて埃をはたきながら、麻知は思い切り猫なで声で言った。
「ごめんね。 私の足が引っかかっちゃった?」
 ぐすっと鼻水を拭いて、男の子は切れ切れに答えた。
「急にね、足、ドンって蹴られて」
 やっぱり。 目が三角どころか激怒ビームを発射していそうで、麻知はできるだけ男を見ないようにして子供にハンカチを渡した。
「ほんとごめん。 おわびにガチャポン一緒にしよう。 いいのが出るといいね」
 ちらっと麻知を眺めて、男の子はうなずいた。 誰に蹴られたかわかっている様子だが、麻知のせいにしたほうが得だとふんだのだろう。
 テレビから目を離さないで、老婦人が面倒くさそうに言った。
「男の子でしょう? 転んだぐらいで泣かないの」
「すみません。 お怪我はしてませんから」
 一応、麻知は彼女にもあやまっておいたが、老婦人は気にしていないようで、振り向きもしなかった。

 むしゃくしゃしながら、麻知は子供とゲーム機コーナーに行き、カプセル入りのミニカーを出し始めた。 男の子はどうしても赤の車がほしいと言い張った。 三つ目にようやく出てきたので、麻知はほっとした。
「よかったね。 じゃね」
「バイバーイ」
 何がバイバーイだ、と思いながらも、子供好きな麻知はもう機嫌を直していて、苦笑しながら洗濯室へ急いだ。

 洗濯機にカバーを放り込んだところで、むしゃくしゃが戻ってきた。 今日は厄日かもしれない。 そもそも朝一番にあんな奴に会ってしまったのが運の尽きだ!
 壁に寄りかかって、麻知は小さく息を吐いた。 自分がかんしゃく持ちなのはよく知っている。 喧嘩っ早くてすぐ手が出るので、保育園時代は女ジャイアンと恐れられていた。 これでもずいぶん忍耐できるようになったつもりなのだが、小馬鹿にした態度を取られるとついかっとなってしまう。
 だが、それにしても……
「あんの逆ギレヤロー。 客だったか! 悔しいなあ! 汚い手使いやがって。 今にみてろ」
 仕返し方法をいろいろと考えはじめた麻知であった。



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写真:ivory
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