花を取り込んで朝食を済ませた後は、ジーンズをスカートとホテルのロゴ入りジャンパーに替え、ラウンジに回った。 すると、マッサージチェアに座ってもぞもぞしていた三十台の女性客が、さっそく麻知を捕まえた。
「あのね、これ揉むだけで叩いてくれないんだけど」
「あ、叩きはこちらのレバーです。 倒し方で無段階に強くも弱くもできます。 これぐらいですか?」
「もうちょっと強く」
「じゃ、これでは?」
「よくなった。 うん、ちょうどいい。 ありがとう」
「ごゆっくり」
ホテル一かわいいと定評のある笑顔を残して、麻知は大型テレビを取り巻くソファーに行き、読み捨てられた新聞を片づけてから売店に向かった。
十時ごろからは団体客が二組到着して忙しくなった。 店の手伝いをしていた麻知も荷物運びに駆り出され、長い廊下を行ったり来たり、その合間には個人客の相手もしなければならず、つむじ風に巻き込まれたような時間帯が慌しく過ぎた。
十一時少し前あたりに客足は一段落したが、今度は昼食の準備だ。 麻知は直接客間へ行くのではなく裏方として、お膳を出して食器を並べ、次々と仲居さんたちに手渡す作業を受け持った。
やたらと腰に疲労がたまる仕事だった。 昼食を急いでかき込むと、またラウンジへ一走り。 客の一人がソファーにコーラをこぼしてしまったというので、カバーを外して取り替えなければならなかったのだ。
こぼした客はさっさと立ち去ってしまっていて、そのソファーの端には、丸い顔をした老婦人が座り、ソフトクリームを食べながらテレビを見ていた。 近くを孫らしい男の子が走り回っていて、ガチャポンでミニカーを出したり自販機でジュースを買ったりするたびに、何度も老婦人の元へ帰ってきては金をせがむ。 それに彼女はいちいちバッグから財布を出して与えていた。
新しいカバーを持ってやってきた麻知に、老婦人はまったく気付かなかった。 声をかけたのだが、孫に注意が集中していて聞こえないらしい。 しかたなく、麻知は彼女のすぐ前に行って、やや大きめの声で頼んだ。
「申し訳ありません。 カバーが汚れてしまったので取り替えさせてください」
老婦人は、まるで麻知がわざとこぼしたかのようにジロッと冷ややかな目をくれた。
「え、ここ? どけっていうの?」
「すぐやりますから。 すみません」
不満そうに立ち上がったものの、その場を動かず、立ったままテレビを見つづけている。 邪魔だったが、麻知はそれ以上角を立てるのも嫌なので、後ろからカバーを外して手際よく取り替えた。 すると、妙に重い感触があったので広げてみると、青い皮の財布が落ちてきた。
さっきから出したり入れたりしているのを見ていたから、すぐ持ち主がわかった。 麻知はかがみこむようにして老婦人にその財布を手渡した。
「これ、落ちましたよ」
「あら」
急いで引ったくってバッグに落としこむと、老婦人は礼も言わずに座り直した。
汚れたカバーを持っていこうとしたとき、横を男の子がすり抜けていった。 と同時に男が大股で歩いてきて、三人が交錯した。
ドスッという音がしたと思うと、子供が床に倒れた。 すぐに虎のような泣き声がラウンジに響き渡った。
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