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表紙

金の声・鉛の道
―96―


 微笑を消して、枢機卿は手短に締めくくった。
「だが兄は、不意に死んだ。 町でコレラにかかったのだ。 危険な病だから、死に顔を見ることもできずに葬られてしまった」
 リーゼはうなずき、次の言葉を待った。 しかし、サルヴァトーレ枢機卿は、不意に話を切り替えた。
「そうか、わたしをまったく知らなかったか。 こんな手紙を受け取ったから、我慢できなくなって飛んできたのだが」
 そう言いながら、彼はくしゃくしゃになった紙をリーゼに手渡した。
 リーゼは急いで、ギシギシと角ばって汚い字で書かれた手紙を読み下した。


『枢機卿閣下へ
 閣下は、リーゼ・シュライバーというソプラノ歌手をひいきにしていらっしゃいますね。
 閣下が張り巡らした黄金の壁で、シュライバーは守られて安楽に暮らしています。 でも、そんな彼女が他に男を作ったのをご存じですか?
 わたしは嘘を申しません。 どうかお調べください。 そして、リーゼ・シュライバーには厳しい罰を。 あの女は、閣下の愛にふさわしい人間ではありません。
正義を行なう者より』



 リーゼの目が、糸のように細くなった。 嫌な手紙だ。 不愉快で、汚らしい手紙……。
 同時に、驚きがあった。
――枢機卿が私を守っていた? どういうこと? そして、手紙を書いた人間はなぜ、それを知っていたの?――、
 心の問いが聞こえたように、サルヴァトーレ枢機卿は咳払いした。
「おまえをわたしの愛人だと誤解しているようだ。 わたしはただ、おまえの輝かしい才能をそのまま伸ばしてやろうとしただけなのだが」
「どういう意味ですの?」
「いや……」
 枢機卿の視線が逸れて、窓の景色に移った。
「たとえば、クラナッハに頼んだ。 理不尽な先輩歌手に言いがかりをつけられ、つぶされそうなおまえをミサに使ってくれるようにと。 ウィトゲン劇場に出資したこともある。 買収されておまえを罠にかけようとした支配人を追い払うために」
 私を……私を守って?
 思いもかけなかった。 想像しなかった事態に、リーゼはただ、戸惑うばかりだった。








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