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表紙

金の声・鉛の道
―94―


 手早く外出着に替えてから、リーゼは表の通りに出て辻馬車を呼んだ。 教会までは馬車で十分ほどの道のりだった。


 密やかに裏門の戸を叩くと、顔見知りの寺男リヒャルトが出てきた。
「シュライバーさん?」
「そう。 司教様に呼ばれたの」
「わかりました。 お伝えしてきますから、こちらで待っててください」
 中庭に面した小部屋にリーゼを通した後、リヒャルトはそそくさと司教を呼びに行った。


 冬景色の庭を、リーゼは見るともなくぼんやりと眺めていた。 急に呼び出された理由について、馬車の中からずっと考え続けていたが、全然思いつかない。
 リーゼの声のファンで、ぜひ個人的に会いたいという高位の人たちは、何人かいた。 皆、丁重に断わった。 それで嫌がらせされて仕事が減るなら仕方ないと思っている。 幸い、これまでのところそういうことはないようだが。
 まさかクラナッハ司教が妙な取り持ちをするとは思えなかった。 それにしても、誰かに会わせたいなら早く来てほしい。 歌の会場に遅れるのは、リーゼの一番嫌うことだった。


 幸い、案じる必要はなかった。 数分で重々しい足音が廊下を近づいてきて、ドアが静かに開いた。
 クラナッハ司教だと思って、リーゼは何気なく振り向いた。 そして、似た僧服をまとっているのだがまったく違う面立ちの男と、顔を合わせた。
 その瞬間、胸の底が奇妙にうずいた。これまで感じたことのない、不思議な居心地の悪さだった。
 長い僧服の男は、リーゼに視線を置いたまま、ゆっくりと後ろ手にドアを閉じた。 リーゼはたじろぎ、大きく開いた窓のほうへ一歩退いた。

 低めの声量豊かな声が言った。
「わが子よ」


 突如、視野が眩く燃えた。 目がくらむ、という現象を、リーゼは生まれて初めて体験した。







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