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―88―
誰?
どきっとして、リーゼは顔を強ばらせた。 イエリネクとかいうハルテンブルクの使いが尾行させているのか、それとも、真っ赤な顔で復讐を誓っていたザビーネ・フォン・アイブリンガー嬢の命令で動いている者か……。
リーゼは長い夜着にガウンを重ねたままの姿で、何度も部屋を歩き回り、胸を抱きしめたかと思うと、カーテンに寄りかかって動悸を鎮めようとした。
どちらにしても、覚悟はできていた。 ウィーンの社交界は、広いようで狭い。 これまでまったくといっていいほど男っ気がなかったリーゼに愛人ができたという噂は、あっという間にオペラハウスのロビーや貴族たちのクラブの廊下を駆け巡るだろう。
虚飾の町は、裏に入れば愛人だらけだった。 目立たぬようにしていれば、リーゼを傷つける者はいないはず。 それが社交界の暗黙の了解だ。 たとえザビーネ嬢でも、破れば制裁を受ける。
――たぶん私を本気でライバルだとは思わないでしょう。 あのお嬢さんが恐れているのは、ヴァルの結婚相手だから――
そう考えるのは切なかった。 だが、それが世の中の現実だった。
リーゼが心配しているのは、スキャンダルよりも、ヴァルの負傷、そして戦死だった。 不安が地崩れのようにのしかかってくる。 必要以上に神経が高ぶっていた。 もう一人ではないから。 ヴァルが再び、彼女の世界に復活してきたからだった。
心も体も、もう自分のものではなくなった気がした。 ここにいるのは抜け殻で、本物はヴァルと共にポーラ港へ馬を駆っている最中なのだ。
――彼は、私こそが港だと言った。 帰りたいのは私の腕の中だけだと…… ――
私だってそうだ。 ヴァルといたい。 彼の背後に見え隠れする暗い影を追い払い、私といる時間だけでも、のびのびとした本来の彼に戻したい。
ハルテンブルク家のことを調べよう、と、リーゼは思いついた。 家の歴史に何かヒントがあるかもしれない。 誰かが彼に呪縛をかけたのなら、解く鍵がほしい!
十一時ごろに軽い昼食を頼んだが、まだ食欲がなくて林檎を一つ口に運んだだけだった。 それから身支度をして、出発時間まで楽譜を読み返した。 目がちらついて、いつもの倍も手間がかかった。
一時きっかりにドアベルが鳴った。 忠実なビットナーが迎えに来たのだ。 リーゼは、ヴァルの髪の匂いが残っている枕を抱きしめてから、名残惜しげに寝室の扉を閉じた。
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