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表紙

金の声・鉛の道
―73―


 のんびりしているように見えて気配りのいいアイメルトは、リーゼの浮かない顔にすぐ反応した。
「疲れた? もう十時過ぎだからね」
 彼に手を取ってもらって馬車を降り、大地を踏みしめると、いくらか気持ちが落ち着いた。 リーゼは笑顔を作って、首を振ってみせた。
「心配しないで。 体は何ともないわ。 ただ、このところずっと仕事が混んでいたから。 依頼が多いのは嬉しいことなんだけど」
「年末になれば、もっと忙しくなる。 今のうちにやりくりして休みを取っておこう。 調節してみるよ」
「ありがとう、お願いね」
 薄闇に包まれた街路で、そこだけが明るく賑やかなカフェ『マリツキー』の喧騒を避けて、リーゼは泊り客専用の戸口に急いだ。 付き添ってきたアイメルトが衣装の箱を渡し、冗談ぽく言った。
「そろそろ小間使いを雇ったほうがいいよ。 一人で身の回りのことまでやるのは大変だ」
「気晴らしになっていいの」
 リーゼは明るく答えた。



 その晩は眠れないかなと思ったが、心配するほどのことはなく、朝方までぐっすり熟睡した。
 いつもの通り五時半に起き、窓を開いて空気を入れ替えてから、きびきびと支度をした。 六時半に賄〔まかな〕いが運んでくる朝食を取った後、アイメルトが馬車で迎えにくるまで一時間はあるので、窓際のテーブルに腰を落ち着けて、手紙の整理にかかった。
 いつも通り、山のように来ていた。 ファンレターと招待状だらけで、ペーパーナイフで封を切っていて手がだるくなるほどだった。
 さっと目を通しては、並べた箱に入れて分類していく、という作業を繰り返しているうち、ひとつの封筒で戸惑って、機械的な動きが妨げられた。
 その封筒は、立派な紙で作られていて、赤い封蝋には紋章が押されていた。 しかし、宛て先の面は白紙で、差出人の名前もなかった。
 妙な予感がした。 急いで封を剥がすと、リーゼは中の紙をもどかしく引っ張り出した。
 そこには、四角張った楷書体で、こう書かれてあった。


『親愛なるシュライバー嬢へ


 実の父上に逢いたければ、十一月三日の昼、フォン・アイブリンガー家の庭園に行ってごらんなさい。


あなたの密かなる友より』









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