表紙目次文頭前頁次頁
表紙

金の声・鉛の道
―64―


 後から思い返してみて、その晩の声は凄かった、と自分でも思った。 まるで魔物が取り付いたようだった。 ギーゼブレヒトは後々、音楽の天使が舞い降りたんだと品よく形容していたが。


 すべての遠慮を忘れて、リーゼは大きく口を開き、全身を楽器にして声を響かせた。 初めあっけに取られていたマテウスも、二重唱になると負けじと大声を張り上げ、聴衆が圧倒される迫力となった。
 合唱団にも火がついた。 勢いに乗せられてオーケストラもブンブンと弾き出し、劇場は熱気の渦に包まれた。
 要するに、大成功だった。 二幕目のカーテンコールは大変な騒ぎで、天井桟敷では興奮のあまり足踏みと叫び声が入り乱れた。
 日頃苦い顔のギーゼブレヒトもじっとしていられず、顔を赤くして舞台裏をせかせかと歩き回った。
「祭だな、まるで。 本当のお祭騒ぎだ」
「いったいあの子は何者なんだ? デルフォイの巫女〔みこ〕のように人の心を操って、とりこにしてしまう」
 作曲者のスッペは何度も頭を振り、奇跡を見たように目をこすった。 今更ながら、音楽の持つ魔力に感じ入った様子だった。


 プロンプターは一度も必要なかった。 こらえていたものが溢れるように、リーゼは活き活きと劇をリードしていった。 終幕のアンコールは七度続き、それでも終わる気配を見せないので、とうとうリーゼはマテウスと手を取り合って、メインの二重唱を一緒に歌った。

 それで、ようやく幕を下ろすことができた。 観客たちは、曲に酔って楽しげな表情で劇場を後にした。 やがてゲートや馬車の停まり場のあちこちから、今聞いたばかりの歌のメロディーが響いてきた。 帰っていく客がハミングしているのだった。




 爆発的な夜となった。 リーゼ・シュライバーの名前は、一夜にしてウィーンの音楽ファンの記憶に焼きついた。
 世の中が実力通りに動くものなら、リーゼこそがアン・デア・ウィーン劇場の新しいプリマになって当たり前だった。
 しかし、カルラはそんな常識を許すつもりはなかった。 翌日、午前九時という彼女にしては非常に早い時間帯に劇場へ出てきたカルラは、リーゼをクビにするよう、舞台監督に激しく迫った。







表紙 目次前頁次頁

背景:ぐらん・ふくや・かふぇ/ボタン:May Fair Garden
Copyright © jiris.All Rights Reserved

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送