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―63―
リーゼは棒立ちになった。
確かにすべての曲を暗譜している。 歌も演技も他の出演者の分まで毎日熱心に眺めて、間の取り方まで頭に入ってはいるが、それはあくまでも傍観者としての立場だった。 まさか自分がその役になるなんて……。
ギーゼブレヒトは、せかせかと話を繋いだ。
「君はこのオペレッタを全部覚えているはずだ。 合唱団の連中が感心していた。 いつも楽しそうにセリフから何から一緒にしゃべっているってな」
「でも、正式な練習はしたことがありませんし」
「なんとかなる! 今は君しかいないんだ。 やれ!」
ギーゼブレヒトの命令で、リーゼはカルラの楽屋に連れ込まれ、もみくちゃになって着替えさせられた。
カルラはリーゼより一回り大きかった。 それでウェストを詰めるのに十分ほどかかり、幕間が長引いたが、客たちはあまり期待をしていないらしく、騒がないでのんびりと雑談していた。
二幕目は広場のシーンで、村娘のダンスが終わるとすぐ、主役たちの出番だった。
きっと頭がカーッとなって、歌詞なんか吹き飛んでしまうにちがいない、と、リーゼは覚悟した。 稽古したことがないのに、すらすら歌えるはずがない。
横に立つマテウスが、神経質そうに襟元を緩め、二度咳払いした。
「しかたない。 こうなったらできるだけ助けてやるよ。 駄目で元々なんだから、気楽に歌いたまえ」
演奏が途切れ、進行係が手を振って合図した。
リーゼは唾を飲みこみ、マテウスの硬い手をギュッと握った。
「さあ、行こう」
そう呟くと、マテウスは先に立って舞台に歩を進めた。
ぽつぽつと拍手が沸き、オーケストラが前奏を開始した。 リーゼは相手役を見上げ、ままにならない顔の筋肉に力を入れて無理やり微笑んだ。
そのとき、不意に声が聞こえた。 たまらなく懐かしい声が、まるで天から降りてきたように。
『いいよ、リーゼ、思い切り歌おう! 僕がついてるよ。 いつも君のそばに』
リーゼは息を止めた。 ほんの一瞬だけ、間が開いた。
マテウスが心配そうに目を向けたとたん、胸一杯に息を吸って、リーゼは歌い出した。
客席のざわめきが、すっと掻き消えた。 大勢の人で埋まっているとは思えないほどシーンとした劇場の端から端まで、輝きに満ちた声がみなぎり、溢れた。
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