表紙目次文頭前頁次頁
表紙

金の声・鉛の道
―56―


 ピアノ弾きの言う『プリマのお姫様』とは、主役のカティアを歌う看板歌手のカルラ・フレーミヒのことだった。
 カルラは、お付きの女性を傍に置いて、ピアノの横に立っていた。 そして、急いでやってきたピアノ弾きにアリア部分を弾かせた後、盛んに羽根扇を使いながらスッペと話し合いを始めた。
 そのうち、だんだん苛立ってきたらしく、声が上ずった。
「こんな高い音は出ないわ。 首絞められた七面鳥みたいな声になっちゃう」
「でもここは、やっと愛が通じた歓喜の瞬間だからね、ワッと盛り上げが必要なんだ」
 セットの裏手では、太った男性がせかせかと合唱団を点検していた。
「さあ、ここへ集まって! バリトンが足りないようだな」
「シュテヒャーがひどい風邪で。 それにモーリッツは明後日まで旅に出てます」
「しょうがない奴等だな。 金曜までに来なかったら他所から補充だ。 なお、スコアはパートごとに二部しかないから、各自で写すように」
 低い不満の声が起こったが、合唱監督は知らん顔で代表に楽譜を手渡した。


 カルラ・フレーミヒは、不機嫌な様子でさっさと帰ってしまった。 リーゼは急いでピアノに近づき、弾き手に楽譜を渡した。
 彼は、すぐに最初の二重唱部分を弾いてくれた。 じっとその音に耳をすませていたリーゼは、一通り聞き終わるとニコッとして、すぐに歌詞をつけて歌いだした。
「いいえ私はただの通りすがり、
倒れているあなたに驚いただけ♪」
 いったん手を止めていたピアノ弾きは、慌ててその歌に合わせて忙しく指を動かした。 まろやかなリーゼの歌声は、後光のように舞台全体に広がり、せわしなく苛々した人々の注目をふっと集めた。
「どこか痛いなら言ってください
森のそよ風みたいに撫でて差し上げるわ♪」
 ギーゼブレヒトの隣りにいた青年が、楽譜を手に進み出て、ピアノ伴奏に声を載せた。
「なんと可愛い顔、やさしい声!
身にまとうは粗末な衣装でも、中身は王女♪」
 譜面をたどりながら歌うので、まだ自信なさげだが、それでも間違えずに、彼はリーゼと合わせて重唱を歌いきった。
 終わると、あちこちで拍手が起こった。 青年は周囲が目に入らぬ様子で、まっしぐらにリーゼに歩み寄った。
「やあ、凄い! 初見でそこまで歌えちゃうんだね!」
「歌いやすく作ってあるから」
 リーゼはちょっとはにかんで答えた。 青年はバッと手を伸ばして握手を求めた。
「ロベルト・ベーメ。 よろしく」
「リーゼ・シュライバーよ。 初めまして」
 下からピアノ弾きがひょいと顔を突き出して、ひょうきんに言った。
「僕はテオ・エックホーフ。 お見知り置きを」



 






表紙 目次前頁次頁

背景:ぐらん・ふくや・かふぇ/ボタン:May Fair Garden
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送