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表紙

金の声・鉛の道
―49―


 ギーゼブレヒトは、いつもよりいっそう苦々しい表情で、懐から黒い葉巻を出した。 しかし、火を点ける前にまたポケットに入れ、口の端を歪めて言った。
「そいつはわたしのセリフだ。 まあいいが」
 それから、身軽に立ち上がって舞台に上がり、リーゼの肩を軽く叩いた。
「君を合唱団に入れたら、バランスが取れなくて困っちまうよ。 君は断然ソロだ。 役柄は……歌よりも演技力で決まるな。 ともかく、すぐに契約しよう」
「あの」
 ただ驚いて、リーゼは息を引いた。 こんな立派な劇場と、ソロ契約? それはほぼ、プリマドンナの座を約束されたのと同じだった。
 ギーゼブレヒトは、またそわそわと葉巻を出したが、気がついて再びしまい込んだ。
「ここは禁煙だ。 さてシュライバー嬢、手始めに週給十クローネで二年契約というのはどうかね?」


 リーゼは、ピアノに張り付いた。 自分の耳が信じられなかった。
――週給十クローネ? 金貨を毎週十枚貰えるってこと? そんな……まるで女王さまだわ!――
 横のピアノ弾きが小さく咳払いした。 そして、リーゼに楽譜を返しながら声を潜めて囁いた。
「一年契約で週十五クローネって言いな」
 いくらなんでも吹っかけすぎだ、とリーゼは思った。 でも、駆け引きぐらいは知っているので、遠慮がちに口にしてみた。
「ええと、週に十五では……?」
 ギーゼブレヒトはフンと鼻を鳴らし、顎を撫でてから頷いた。
「いいだろう。 それで二年と」
「いえ、一年に」
 渋面がますますひどくなったが、それでもギーゼブレヒトはあっさり承知した。
「来年また決めようっていうんだな。 わかった。 こっちもじっくり育てさせてもらうよ」


 週末なので、月曜日に書類を調えて契約することになった。 当座のつなぎだと言って、ギーゼクラフトはポケットから金貨を出してリーゼの手に載せた。
「はい、三クローネ。 月曜までの分だ。 必ず来るんだよ。 ここへ、ええと、十一時にね」
 金貨はずっしりと重かった。 リーゼは二度唾を飲み込み、ギーゼブレヒトの肩越しに客席を探した。 できればヴァルに傍へ来てほしかった。 こんなときどうすればいいのか、まるでわからない。 心臓が高鳴って胸を締め付けられるようだった。
 ヴァルは確かにそこにいた。 だが、彼は舞台のほうを向いていなかった。
 横に黒衣の男が立って、しきりに話しかけていた。






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