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表紙

金の声・鉛の道
―47―


 クリーム色の四角い劇場は、川に面した道に沿って建っていた。 並木道には馬車が行き交い、日傘を差した淑女たちが紳士のエスコートで散策している。 上等な散歩着と高級香水の香りに、リーゼはつい自分の粗末な通勤着が気になって、後ろへ隠れるようにヴァルに身を寄せた。
 ヴァルは周りなど気にかけず、まっしぐらに劇場の入口を目指していた。 同じように楽譜を抱えた女性が三人、ばらばらと劇場に向かっていて、お互いを値踏みするように横目を使っていた。
 あの人たちもオーディションを受けに来たんだ――ライバルを前にして、リーゼは気持ちが引き締まった。 ようやく、負けたくないなという競争心が芽生えてきた。


 彼女たちが入っていったのは、劇場の裏口だった。 狭い階段を上ると、舞台の袖に出る。 舞台上には粗末な椅子が並んでいて、今しも伴奏者がピアノの蓋を開けるところだった。
 鳥打帽を被り、袖をゴムで止めた若い男が、番号札を配った。 リーゼの番号は、十一番だった。
 リーゼが座った後も、続々と志願者が入ってきた。 椅子が二列に増やされたが、それでも足りない。 道具係がもう一列分出してきたところで、舞台奥からせかせかと中年男が一人現れた。
 志願者の何人かとスタッフ達が一斉に挨拶した。
「こんにちは、ギーゼブレヒトさん」
「お久しぶりです、ギーゼブレヒト監督。 お元気そうで」
この人が舞台監督で、ギーゼブレヒトというのか――リーゼは、好奇心を沸かして彼を観察した。 小男で、苦虫を噛み潰したような顔をしている。 音楽関係者というより、冷酷な金貸し風に見えた。
 ギーゼブレヒトは、軽く人々に頷き、舞台から降りて前方の客席に坐った。 そして、ハンカチで鼻をかんでから、顔に似合わぬ澄んだ声で言った。
「さあ、始めよう」


 白いブラウスを着た娘が立ち上がって、ピアノ弾きに楽譜を渡した。 この子が一番の札を持つ志願者だった。
 細く震える声で、彼女はまず名乗った。
「エッダ・ボーデンシャッツです」
「はい、歌って」
 ピアノが前奏を始めた。 歌劇『ノルマ』のアリアだった。
 エッダが十小節ほど歌ったところで、不意にギーゼブレヒトが口を入れた。
「もう結構。 充分わかった。 坐って結果を待っていてください」



 二番目のすらりとした美人も、三番目の小柄な女性も、同じように扱われた。 それを見ていたリーゼは、次第に落ち着いてきた。
――そうね、こんなにたくさん応募してきたら、一曲全部なんて聴く時間はないわ。 ちょっと歌って、すぐ座れる。 緊張する間もないぐらいに――








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