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表紙

金の声・鉛の道
―46―


 あまりヴァルが熱心だから、次第にリーゼもその気になった。 受けるだけ受けたって罰は当たらない。 どうせ駄目だろうけど、それでヴァルが納得するなら。



 入団テストは、午前が男子で、女子は午後二時からだった。 リーゼは口実を作って、工場を早引けすることにした。
「いつも表にいるあの色男と、遠足にでも行くのか?」と、職工長は嫌味を言ったが、刺繍部屋の同僚たちが大笑いして助けてくれた。
「ばかばかしい! 毎日会ってるのになんでわざわざ?」
「リーゼのおばさんは下宿屋をやってるんですよ。 足に怪我したんなら手伝わなきゃ、下宿人が困るでしょう」
 で、結局職工長は、苦虫を噛みつぶしながらも、半日だけ早退を許してくれた。 それまでリーゼが一日も休んだことがないので、ずる休みとは思えなかったのだろう。


 叔母のグレーテを怪我人ということにしてしまって少々気がとがめたが、それでもリーゼは、昼過ぎ迎えに来たヴァルと劇場へ向かった。
 この時分、まだ国立オペラ劇場は建設されていなくて、ウィーンの主要なオペラハウスは、一八○一年に建てられたアン・デア・ウィーン劇場だった。
 市の中心部に向かい、ウィーン川左岸通りに入ると、さすがに緊張感が増してきた。 リーゼはヴァルの腕に通していた手をそっと抜き、替わりに彼の手のひらを求めた。
 すぐに長い指が、安心させるようにリーゼの指をやさしくからめ取った。
「君なら大丈夫だ。 三つ楽譜を持ってきたから、好きなのを歌うといい。 どれも君の実力を聴かせるのにぴったりだから」
「あなたは私の歌を愛してくれるわ。 でも、世間の人がそうかどうか、わからない」
「試してみようよ、ね、リーゼ? 万が一、審査員に君を認める耳がなかったとしても、僕の評価は変わらない。 君は最高だ。 僕にとっては、天使の声以上のものだ」
 ヴァルの言葉は、力強さに満ちていた。 本当に確信しているらしかった。 リーゼの歌が他に比べようのないほど素晴らしいものだと。








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