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―40―
窓に背を向けていたヴァルには見えなかった。 だが、彼と向き合った姿勢のリーゼは、黒っぽい人影をはっきりと捉えて、思わず首を伸ばした。
緊張したその様子に、ヴァルは目を開けた。
「どうした?」
「誰かが庭に」
「え?」
たちまちヴァルはリーゼを降ろして素早く立ち上がり、つかつかと扉に近づいて開け放った。
影は扉の裏に隠れた形になったらしい。 姿は見えなかったが、低い声だけがかすかに響いた。
「ヴァルター様……」
「なんだ、今ごろ!」
意外な訪問者だったようで、ヴァルは珍しく尖った声を出した。
「話なら向こうで聞く」
「はい」
すぐに二つの足音が左のほうへ遠ざかっていき、リーゼは一人で残された。
なんだろう。
かすかな不安と好奇心が胸を占めたが、リーゼは我慢して、ドアから覗こうとはしなかった。
代わりに、楽譜を見ながら一本指で、ぽつっぽつっとピアノを弾いてみた。 それはたまたま、『燕は空に』というソプラノ用の歌曲だった。
初めはおそるおそるだった。 それが次第に大胆になり、間違えずにメロディーを弾けるようになると、歌を添えた。
「明けゆく空に 舞う燕
春の終わりを告げる使者♪」
「そこはもっと高らかに」
はっとして、リーゼは胸を押さえた。 いつの間にか、ヴァルが戻ってきて戸口に立っていた。
「そうね。 弾きながらだと気が散って、歌に集中できないわ。 もう用事は済んだの?」
「ああ」
口を一文字に結んで、ヴァルは大きく敷居をまたいだ。
「本家からの使いだ。 ここまで探しあてて来るとは驚いた」
「困ったこと?」
リーゼは心配になった。 その表情を読み取ったヴァルは、肩の力を抜いて笑みを浮かべてみせた。
「いや。 さしあたってどうのという話じゃないんだ。 まだ六月の半ばだもの。 休暇を目一杯楽しまなきゃ」
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