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表紙

金の声・鉛の道
―33―


 次の日の六月六日は、リーゼ十八歳の誕生日だった。
 叔母のグレーテは前の晩からケーキを焼いていた。 月曜日は場末の劇場が休みなので、下宿人のダンサー姉妹ロジーナとベアータも誕生祝に出ると言ってくれた。 本心は、グレーテの作るおいしい野苺ケーキを食べたかったのかもしれない。
 というわけで、リーゼは朝からうきうきしていた。 空は上天気だし、仕事もはかどり、工場から出てきたときには既に鼻歌混じりだった。


 バスケットを振って中央通りを歩いていると、道端に停まった荷馬車の陰から、不意に腕が伸びて、リーゼの肘を掴んだ。
 びっくりして見上げた視線の先に、血走った目があった。 リーゼはたじたじとなって、曲がった指を振りほどこうとした。
「エクスナーのおじさん……」
 ヴィリー・エクスナーは、掴んだ手に力をこめ、黄色く変色した歯をむき出して、リーゼにつめ寄ってきた。
「おめえはエリーの友達だよな。 一緒に工場へ通っていたはずだ」
「ええ」
 懸命に肘を曲げて逃れようとしながら、リーゼは震え気味にうなずいた。
「じゃ、教えろ。 あいつは今どこにいる! 大事な家族を置いて、どこへ逃げやがったんだ!」
「知りません!」
 ヴィリーの声が荒々しくなるにつれて、リーゼの答えも叫びに近くなった。
「ほんとに知らないのよ、おじさん! 頼むから手を離して!」
 離すどころか、ヴィリーはグイッとリーゼを引き寄せ、荒々しく揺すぶった。
「言えってんだ! 白状しねえとこの腕へし折るぞ!」
 リーゼの顔が泣きそうに歪んだ。 ヴィリーなら本当にやるかもしれない。 酒代が手に入らなくなって、つけが貯まってヤケになっているのだろう。 助けを求めて首をめぐらせたが、あいにく人通りはまばらで、遠くに腰を曲げた老女が歩いているだけだった。
 ヴィリーは、握った手を肘から手首にずらして、色が変わるほど強く握りしめた。 そして、乱暴に引いて道路を進み出した。
「さあ、案内しろ。 エリーの隠れ家まで、とっとと行け」
 見かけは老人だがまだ五十代だ。 ヴィリーの腕力は強く、抵抗してもずるずる引きずられた。
「無理よ、おじさん! 痛いから離して!」
 四つ角のところまで来たとき、左の道に人の気配がした。 リーゼが救いを求めて振り向くと、見覚えのある丈高い姿が目に入って来た。
 ヴァルだ! 彼はまっすぐな背中を見せて、リンクの方角へ歩いていくところだった。
 たちまちリーゼは全身を拡声装置にして、思い切り叫んだ。
「ヴァル! 助けて!」






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