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表紙

金の声・鉛の道
―26―


 リーゼの問いかけるような視線に気づいて、ヴァルはヤカンを火から降ろしに行きながら説明した。
「僕の入れられた寄宿制学校では、上級生の命令が絶対なんだ。 下級生は従僕みたいなもので、何でもさせられる。 給仕なんかもね」
 役に立つ学校ね、と言いそうになって、リーゼは慌てて話題を替えた。
「落ち着いた綺麗な別荘ね。 あの絵がハルテンベルクさん達?」
 リーゼの視線を追って、ヴァルはうなずいた。
「ヘルムートとクララだ」
「二人ともローマ風な格好をしてるのね。 あれ、トーガでしょう?」
「そうだね。 夏の野外劇で『シーザー』をやったときの舞台衣装じゃないかな。 彼は役者になりたかったんだ。 でも親に猛反対されて、あきらめた」
「で、何になったの?」
 ヴァルは、見事なマイセンのティーカップに紅茶をそそぎ終わると、短く答えた。
「軍人」
 リーゼは、膝に手を揃えて口をつぐんだ。 今、オーストリア軍は北イタリアで、サルディニアと戦っている。 この別荘の持ち主は、その戦場にいるのだろうか。 彼が命を賭けているときに、のんびりその別荘で遊んでいるのは、少し気が咎めた。
 もう一度肖像画を見上げて、リーゼは小声で訊いてみた。
「じゃ、ハルテンベルクさんは従軍中?」
「いや」
 ヴァルは紅茶にブランデーを垂らしてから、リーゼの前にカップを置いた。
「彼は海軍だから、イタリアには行っていない」
 リーゼはほっとしたが、ヴァルのほうは逆に、形のいい額がわずかに曇った。
「陸軍はぼろぼろだ。 昨日、マジェンダで我が軍は退却させられたようだ」
 リーゼは大きく目を見張った。
「負けたってこと?」
「いや、まだ戦いは続いているが、旗色は悪いらしい」
「なぜ! オーストリア軍のほうがずっと多いのに」
「指揮官が無能だから。 ジュライ将軍なんて、自分の馬の行き先もわからない男なんだ」
「どうしてそんな人が選ばれたの?」
 率直なリーゼの問いに、ヴァルは苦笑いを浮かべた。
「まったくだ。 ジュライはグリュンネの友人だからだろう。 あの腐りきった皇帝副官の」
 そこでヴァルは緊張を緩め、腕を伸ばしてリーゼの手に触れた。
「ごめん。 せっかく楽しいときに、戦の話なんか口に出して。 さあ、食べよう。 まだすてきな時間はたっぷりある」





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