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表紙

金の声・鉛の道
―23―


 もう時は六月になっていた。 明るい春、野山にきんぽうげや鈴蘭が、庭園に馥郁〔ふくいく〕と大小のバラが咲き誇る季節だった。
 金曜日、二人は腕を組んで歩いた。 そして土曜には、明日の休みにヴァルト(=森)へ遊びに行こうと相談をまとめた。


 毎夕顔を合わせているけれど、これは初めての遠出だった。 リーゼは興奮でなかなか寝付かれず、幾度も起き上がって、水を飲んだり、窓の向こうを眺めたりした。
 こんなに胸がときめくのは何年ぶりだろう。 ほんの小さな子供の頃、明日は母が来ると聞かされて、ベッドに持ち込んだ人形に話しかけながらわくわくと夜明けまで起きていた。 あのときの自分が戻ったようだった。


 結局ろくに眠れずに、リーゼは日曜の朝を迎えた。
 いつも通り叔母と礼拝に行って、戻って来る道筋で、リーゼはできるだけ自然に切り出した。
「あのね、叔母さん。 これからお友達とハイキングに行こうと思うの。 暗くならないうちに帰ってくるから、かまわないでしょう?」
 グレーテは、苦笑に近い表情を顔に貼り付けて、目を期待に輝かせている姪を眺めた。
「いいよ。 どうせ駄目だって言ったって抜け出すんだろう?」
「そんなことしないわ」
 リーゼは息を弾ませたが、内心では気が咎めた。 本当にそう思っていた自分を、知っていたから。


 パンにチーズにソーセージ、それと甘口のワインを一本、バスケットに詰めて、お昼前にリーゼは家を出た。
 休日だから道はいくらか空いていた。 それでもビール樽を載せた荷車や田舎からの乗合馬車が行き来して、なかなか通りを横切れない。 おまけにしばらく晴天が続いたため乾燥がひどく、車輪が巻き上げる埃で白いショールが黄ばむほどだった。
 せっかくおしゃれしてきたのに――かわいい顔をしかめて、肩にふりかかった土埃を払っていると、また馬車がやってきた。 いつになったら渡れるの? と腹が立ち、つんとした表情で見上げた先に、ヴァルの明るい笑顔があった。






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