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表紙

金の声・鉛の道
―21―


 話は暗かったが、イェーガー青年が初めて生の感情を見せたことで、二人の気持ちはぐっと近づいた。
「チェスの駒みたいに動かされる兵隊さんたち可哀想。 せめて戦いが短く終われば、被害が少なくてすむのに」
「そうなることを祈ろう」
「でも、負けたら困るしね」
「それはそうだ」
「すぐに敵が降伏しますように」
「フランス軍が余計な手出しをしないように!」
 足元に水溜りがあった。 また手を取ってリーゼを渡らせたイェーガーは、握った手をその後ずっと離さなかった。


 下宿屋の前で別れる寸前まで、二人は手を繋いだままでいた。
「また明日。 よく眠って今日の疲れを取って」
「ええ、心強い護衛さん」
「君が懸命に働いている時間に、僕は呑気に歩き回っていて、気が引けるな」
「そんなこと」
 リーゼはびっくりした。 もともと身分が違うのだから、当たり前だと思っていた。 そういう時代だったのだ。
「じゃ、おやすみ、リーゼ」
「おやすみなさい、ヴァル」
 言えた! 初めて彼の名前を口にすることができた。 愛らしく顔を赤らめるリーゼを目にして、ヴァル・イェーガーはそっと手を伸ばし、上気した頬に触れた。
 リーゼは眼を見開いた。  とたんに心臓の音が耳に大きく轟〔とどろ〕き始めた。
 素早く身をかがめて、ヴァルはその頬に軽く唇を触れた。
「よい夢を」


 リーゼは動けなかった。 キスのお返しをすることさえ思いつかなかった。 ぼうっと立ち尽くしている彼女を置いて、ヴァルはきちんとした歩き方で道を横切り、扉の中に消えていった。


 頭が空白のまま、下宿屋の裏口に踏み込んだリーゼは、叔母がじっと見つめているのに気付いて、急いで笑顔を作った。
「ただいま」
 グレーテは煮立った大鍋に蓋をした。
 それから、ゆっくりと向き直り、真面目な口調で言った。
「恋は素敵だ。 どんどんやんなさい。 ただ、片目だけはしっかり開けておくんだよ」






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