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表紙

金の声・鉛の道
―20―


 翌日も、その翌日も、イェーガー青年は夕方になるとリンクに現れ、リーゼの帰り道を護ってくれた。 専門に雇った護衛でもこうはいかないだろうと思うほど、正確にきっちりと。
 そのささやかなお返しに、リーゼは十五分から二十分ほど、静かな人通りのないリンクで歌った。 イェーガーは喜び、目を閉じて聞きほれたり、ときには上半身を揺らして拍子を取って、音楽に溶け込んでいた。


 木曜日、迎えが始まって四日目に、石畳の道を軽やかに歩きながら、リーゼは大胆に訊いてみた。
「私たち、もう友達ですよね?」
 驚いたように、青年はきりっとした目を上げた。
「僕はそう思っていますが、あなたは構いませんか?」
 この礼儀正しさが、リーゼの好きな彼の長所だった。 町娘だからといって、妙に馴れ馴れしくしてこないところが。
 でも、ちょっと堅苦しいかなとも思う。 もう四日も顔を合わせているのだから、少し親しくなりたかった。
 恥ずかしいので早口になって、リーゼは提案した。
「それじゃ敬語は止めにして、名前で呼び合いません? どうぞリーゼと呼んでくださいな」
 イェーガーの視線が不規則に揺れた。 困っているみたいだと、リーゼは鋭く感じ取った。
 だが、青年はすぐ気分を変えたらしく、彼にしては明るい表情になって答えた。
「じゃ、僕のことはヴァルと。 リーゼとは、エリーザベトを縮めたものですか?」
「いえ、エリーゼです」
「きれいな名前だ」
 てらいのない言い方だった。 彼の言葉遣いは丁重だが、決して軽くはなく、無駄なお世辞は口にしなかった。 たぶん常に本心を言っているのだろうと感じさせる誠実な話しぶりだった。


 苗字でなく名前で呼び合おうと約束したものの、いざ口に出すとなると、お互いもじもじしてしまった。 無言のままデッサウ通りの角を曲がったとき、遠くから太鼓の音が響いてきて、やがて軍楽隊が彼方から姿を現した。
 後ろには子供たちが群がって、騒ぎながらついてきた。 楽隊と共に行進して来た赤い軍服の若者たちが、両手に持ったビラを通行人に配っていた。 注意を引くために小さな旗や紙人形を持っていて、それが子供たちの狙いだった。
「新兵募集のビラだ」
 イェーガー青年が低く呟いた。
「二等兵は、銃を構え、隊列を組んで前進していくだけなんだ。 撃たれても撃たれても、ひたすら進んでいく。 そして、敵陣に行き着くまで、射的の的のように撃たれ続ける」
 リーゼは氷の塊を飲んだようになった。 普通のウィーン市民は戦争を間近に見たことがない。 まさかそんな粗末な戦い方で、人の命が簡単に失われていくなんて、思いもしなかった。
「物陰に隠れて撃ち合うんじゃないの?」
「それではフェアじゃない、と将軍たちは考えるんだろう。 自分達は馬に乗り、後方の高台から望遠鏡で眺めているだけなんだが」
 そっちのほうがよっぽどフェアじゃない、とリーゼは怒りを覚えた。







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