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表紙

金の声・鉛の道
―14―


 歩くにつれて、街のざわめきが近づいてきた。 リーゼの歩幅に合わせてのんびりと足を運びながら、イェーガー青年はさりげなく尋ねた。
「あなたも通りの向かいに部屋を借りているようですね。 昨日目が合いましたが、覚えていますか?」
「はい、『マリツキー』に新しく越してきた方でしょう? でも、私は」
 急いでいないのに少し息を切らせて、リーゼは答えた。
「間借りしてるんじゃないんです。 ただで置かせてもらってます。 あそこの持ち主の姪なので。 食事代だけは払ってますが」
「ああ、そうなんですか」
 二人の靴が剥き出しの地面から石畳に戻り、カツカツと小さな音を立てるようになった。
「僕は子供のとき、二年ほどこの町に住んだことがあります。 十歳から十二歳の頃に。 すぐ父が転勤になって、引っ越しましたが」
 懐かしそうに、イェーガーが語った。 その口調が楽しげだったので、リーゼもつられて話を受けた。
「私はここで生まれました。 小さいときは郊外に預けられてた時期もありましたけど、後はずっとウィーン育ち」
「ここが好きですか?」
 大きな眼をくるっと動かして、リーゼは微笑んだ。
「好きです! でも、他は知らないから、もっといいところがあるかもしれません」
「飽きないですよね、この町は。 劇場、公園、遊園地、なんでもあって」
「きれいな馬車に乗るお金持ちにはそうでしょうね」
 皮肉でなく、リーゼは淡々と言った。
「私達はせっせと働くだけ。 たまにはピクニックや橇すべりをしますが、ほんとに年に何回かぐらいで」
 返事は返ってこなかった。 気を悪くしたのかと不安になって、リーゼは右横に顔を向けた。
 同時に青年も首を回して、リーゼを見た。 黒ずんでみえる瞳に、街灯の光が当たってきらりと輝いた。
「僕はそのどちらも、やったことがないな」
 リーゼはびっくりした。 ピクニックや橇遊びは、ごく普通の行事だったのだ。
「一度も?」
「ええ。 母を早く亡くしているせいでしょうね」
 リーゼは困ってしまい、目をそらして道を見た。 すると、横を歩く青年の立派な革靴が視野に入って来た。
――こんな上等な格好をしているのに、楽しい遊びを知らないんだ。 ひょっとして、私よりも単調で寂しい人生を送っているのかも――
 リーゼは首をかしげ、ちょっぴり優越感に似たものを感じた。









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