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表紙

金の声・鉛の道
―123―


 リーゼの住む地区から、伝統ある温泉町バーデンまで、約三十キロだ。
 街を出たとき、空はまだ明けやらず、淡い藍色だった。 やがて馬たちが逞しく歩を進めるうちに、低い丘の彼方から太陽が顔を覗かせ、横から馬車を明るく照らした。


 バーデンの入り組んだ石畳の道に入って間もなく、石造りの大きな邸宅に差し掛かった。
「ここがフォン・グレーフェン男爵のお屋敷です。 裏門が塀の続きにあるそうで……あ、あそこです」
 ビットナーがノミ屋に聞いてきた通り、煉瓦の塀の途切れた部分に、アーチ型の白っぽい両開きの門が姿を見せた。

 教会の鐘が、澄んだ音で八時半を告げた。 リーゼはビロードの帽子からヴェールを下ろして顔を覆い、するりと馬車を降りて、門を開いた。
 中には、二つの建物が前後していた。 手前のほうは農機具を入れておく小屋らしい。 その小屋に半分隠れるように建っているのが、庭の端に設けられた離れだった。
 リーゼは、長方形の家に近づいて、木製のドアをノックした。 すると、玄関ではなく、真上の二階で窓が開く音がした。
 がらがら声が降ってきた。
「誰だね? こんなに朝早く」
 見上げたリーゼは、すぐ悟った。 濃茶色のガウンを着て見下ろしているのは、まちがいなくヨーゼルブルク本人だった。
 顔を上向けたまま、リーゼはヴェールを上げて、訴える眼を老人に向けた。
「リーゼ・シュライバーです。 去年お目にかかりました。 覚えていらっしゃいますか?」
 驚いて、ヨーゼルブルクは両手を小さく上げた。
「これはこれは! ちょっと待ってくださいよ。 今降りていって、戸を開けますからな」


 二分ほどして、扉が開いたとき、ヨーゼルブルクは皺の寄ったフロックコートを着ていた。 ガウン姿では失礼だと思ったらしい。
「さあ、お入りなさい」
「すみません、約束なしに勝手に訪ねてきてしまって」
「なにか急用がおありかな?」
 人のよさそうな老人は、白髪まじりの頭を横に傾けた。









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