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表紙

金の声・鉛の道
―119―


 中の足音が、ピタッと止んだ。
 窓に近づいてこないので、リーゼはもう一度、小さく三回叩いた。
 低く鋭い声が飛んで来た。
「誰?」
「リーゼ・シュライバーです。 あなたと話し合いたいことがあって」


 また少し沈黙が続いた。 それから灯りが大きくなってきて、カーテンが細めに開いた。
 燭台を持ち上げてバルコニーの顔を確かめてから、ザビーネは信じられない様子で口を抑えた。
「どうやってここに?」
「下の庇〔ひさし〕から、隣りのバルコニーへ登って」
「レディーのすることじゃないわね」
 そう呟くと、ザビーネは右手を前に出して、小さなピストルを見せた。
「入って。 変な真似をしたら、すぐ撃つわよ」


 部屋の中は、一杯に火を起こした暖炉のせいで暑いほどだった。 ザビーネは立ったまま、油断なくリーゼが窓を閉め切るのを監視していた。
 窓を背にして、リーゼはきびきびと向き直り、まっすぐ相手の顔に視線を当てた。
 ザビーネの表情が、かすかに歪んだ。
「ここがよくわかったわね。 大尉は誰にも伝えられなかったはずなのに」
「いろんなところに情報があるのよ」
 リーゼは焦点をぼかして答えた。
「それで? 何を言いに来たの?」
「取引をしましょう」
 自分でも意外なほど落ち着いた口調で、リーゼは話し出すことができた。
「取引?」
 この言葉にも驚いたらしい。 ザビーネの強ばった頬が、更に引きつれた。
「ハルテンブルク大尉のさっきの話、ここでも聞こえたでしょう?」
 とたんにザビーネは低く笑った。
「ハルテンブルク大尉? あなた自分のご主人のことを、そんな風に呼ぶの? わざとらしいわ」
「じゃ、ヴァルと呼ばせてもらうわ。 十七のときからずっとそう呼んでいるから」
 ザビーネの顔から、さっと笑いが引っ込んだ。
「十七……?」
「ええ、私が十七で、彼は二十だった。 工場に勤めていた私を、いつも迎えに来てくれたわ。 郊外の森を馬車で何度も走った。 ヴァルが髪を伸ばしたらどうなるか、知ってる? それはたっぷりした巻き毛で、風が吹くと始末に困るほどなのよ」
 ザビーネは鼻から強く息を吐き、荒々しい口調になった。
「昔からの知り合いだから、どうだっていうの? あなたは大尉にふさわしくないわ。 生まれのよくわからない、ただの歌手じゃないの」
「そうよ」
 自分を抑えて、リーゼは静かに答えた。
「だから来たの。 公平に彼の心を求めるチャンスを、あなたに上げようと思って」









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