表紙目次文頭前頁次頁
表紙

金の声・鉛の道
―116―


 見張りはあまり興味なさそうだったが、厳寒の窓辺に一人残されるのが嫌さに、続きを促した。
「それで? 大尉はどうなさったんですか?」
「ただぼんやりしていた。 目の前が真っ暗になった。 音楽を聴く耳は人並みにあると思っていたから。
 他のピアニストにひけをとらないぐらいの音楽性はあると、自分の演奏を評価していたんだ。 それなのに、技巧はあるが音楽家の魂はないと言われた……。
 ピアノの前に坐るのが恐くなった。 もう音楽はわたしを救ってくれなくなったんだ。 絶望したよ……
 それで、父に頼んだ。 軍隊に入る前に、母と過ごしたウィーンを訪ねてみたいと。 父はすぐ許してくれた。 だから部屋を借りて、拳銃を買って、取り壊し中の城壁へ行った。 あそこなら夕方からは人通りがないからね」
 小さな吐息が聞こえた。
「でも、わたしが行くと、かわいい女の子が歌っていた。 荒削りだが、あんなに伸びやかで心を打つ声は、聞いたことがなかった。
 柱に隠れて聴いているうちに、涙が出てきた。 これこそミューズの神に祝福された天才だと思った。 死ぬのはいつでもできる。 この子を守って、世に出してやれたらと」
「それが、今をときめくリーゼ・シュライバーなんですか? 知らなかった。 お二人は前から強い縁で結ばれてたんですね」
 初めて関心を持ったらしく、見張りの声が活気を帯びた。
「そうだ。 だが言っておくが、リーゼは真の実力だけでここまで来た。 ファンや応援者はたくさんいても、無理に売り込んだり裏金を使った人間は一人もいない。 そんな必要はないんだ」
「わかってますとも」
 見張りは熱心に同意した。
「あの人の歌は文句なしにいい。 うっとりします」
 そこで、彼はあることに気付いて、ぎょっとなった。
「さっきおっしゃいましたよね。 死ぬのはいつでもできるって。 じゃ、リーゼさんを取り上げられたら、大尉は……」
「わたしはもう疲れた」
 ヴァルは、落ち着いた口調で言った。
「少々有名になってちやほやされたとしても、そんなのは一時のことだ。 本当にほしいものが、次々と指をすり抜けていってしまうなら、この世になんの価値がある?」











表紙 目次前頁次頁

背景:ぐらん・ふくや・かふぇ/ボタン:May Fair Garden
Copyright © jiris.All Rights Reserved

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送