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表紙

金の声・鉛の道
―112―


 ベルタは、いっそう声を落として囁いた。
「私、飛び出していって連行の理由を訊こうとしたの。 だって、あまりに突然で身勝手でしょう?
 そしたら、イェーガーさんに頼まれたの。 リーゼに言伝〔ことづて〕をって。 何が起きても、何を言われても、信じていてくれって、イェーガーさんはそう言っていたわ」


 何が起きても……不安をかきたてる言葉だった。 もちろん彼を信じている。 信じているからこそ、心配が深まるのだ。
 ベルタが店に戻って間もなく、部屋の様子を見に行っていたビットナーが下りてきて、早口で報告した。
「ドアの錠が開いたままです。 中は、ちょっと見たところ荒らされていないようですが、ハルテンブルク様はどこにも見当たりません」
「海軍の軍人が無理に連れていったらしいの」
 リーゼの弱い声を聞いて、ビットナーは驚いて顔をしかめた。
「そんな権利があるんですかね? いくら軍人だからって、ちゃんと休暇を取ってるところを」


 そうだ。
 ビットナーが何気なく言った一言が、いきなりリーゼの目を開かせた。
――これは、お嬢さんの横槍なんてものじゃない。 ずっと大掛かりだ。 休暇中の士官を強引に連れて行けるだけの、権力がある人。 それは、ザビーネ・アイブリンガーじゃなく、父親のアイブリンガー将軍……?――
 カール・アイブリンガー将軍が、一人っ子のザビーネを目に入れても痛くないほど溺愛していることを、リーゼは聞き知っていた。 娘のためなら、下町の不良娘レナーテの命を奪うことぐらい、たやすくやってのけるだろう。 貴族にとって、平民は一段下の、どうでもいい階級なのだから。
 リーゼは、震える胸に冷たい夜気を大きく吸い込んだ。
 それから、決意を秘めた目で、ビットナーを見つめた。
「悪いけど、もう一度馬車を走らせてくれる?」
「いいですとも」
 ビットナーは、口をギュッと結んで、大きくうなずいた。











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