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―110―
その夜はオペレッタの公演があった。 だから、一緒にいられるのは四時までだった。
ゆっくり歩いて『マリツキー』に引き返した二人は、表の店で大っぴらに昼食を取るかどうか、少し相談した。
結局、どちらも顔を知られすぎているから、今目立つのはよくないということになった。 それで、リーゼは厚いヴェールを下ろしたまま、ヴァルはマフラーで顔を半ば覆ったままの姿で、アパート専用玄関に入った。
ハムとチーズでサンドイッチを作り、ヴァルがコーヒーを入れた。 暖炉を赤々と焚き、もたれ合って目を閉じていると、それだけで幸せだった。
「こうやっていると、八年前の黒松荘に戻ったみたい」
「明日行ってみようか。 冬の最中だけど、暖炉の薪は小屋に山ほど積んであるから、初夏のように暖かく過ごせると思うよ」
リーゼは眼を輝かせて座り直した。
「素敵! ドレスを一枚持っていくわ。 あの大広間で、あなたとワルツを踊りたかったの」
「かわいい夢だ」
鼻の頭にチュッと唇をつけた後、ヴァルは新妻を抱えあげ、本格的なキスに入った。
四時少し前に、コツコツとドアがノックされた。
戸口に出たのは、ガウンを着たヴァルだった。 アイメルトは顔が合ったとたん目をしばたたかせ、姿勢を正したが、びっくりした様子は見せないようにした。
「マネージャーのマルティン・アイメルトです。 初めまして」
「ヴァルター・ハルテンブルクです。 どうぞ入ってください。 妻は帽子を選んでいるところです」
今度は驚きを隠せなかった。 アイメルトは、脱ぎかけていたダービーハットを掴みそこねて、床に落としてしまった。
「妻……?」
「今朝、役所に行ってきました。 可能な限り早く」
外部の人に言うのは初めてだった。 ヴァルは誇らしさをにじませて、感慨深く続けた。
「あれほどの人気歌手です。 待っていてもらえるとは思わなかった。 だから夢中で急ぎました。
彼女だけがわたしの家族なんです。 父は他人も同然でした。 八年前、生木を裂くようにリーゼと引き離されてからは」
「お父上はどんな手段を使ったんですか?」
扉を静かに閉め切ってから、アイメルトは声を下げて尋ねた。 ヴァルは強く息を吸い込んだ。
「諦めなければ、リーゼを『消す』と言いました。 父なら本当にやったでしょう」
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