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―107―
敏感になった神経を逆なでする音だった。 リーゼは、バランスを崩しながら慌てて立ち上がり、ベランダに通じるフランス窓に垂らした厚いカーテンを分けて、目をこらした。
闇の中を、闇よりなお暗い影が動いた。 目を見張り、悲鳴をあげそうになったリーゼの前で、その影は深く垂れたフードの前を上げ、凛々しい顔をガラスに近づけた。
ヴァル!
たちまちリーゼは喜びの炎に包まれた。 窓に飛びつき、もどかしい手つきで掛け金を開くと、ヴァルはすぐにすべりこんできて、後ろ手で窓を閉めるとほぼ同時に、がむしゃらにリーゼを抱きしめた。
夢中で抱き返しながら、リーゼは囁きかけた。
「手紙は無事に届いたのね?」
「ああ! ビットナーはよくやった。 軍命でロジャナの近くにいたんだが、探し当てて直接手渡してくれた。 それで、すぐ特別許可を願い出て、三日間休暇をもらったんだ」
声に苦渋が混じった。
「リーゼ、あの結婚証明書のことは……」
「イェリネクの計略。 そうでしょう?」
「背後で糸を引いた父の策略、とも言えるだろうな」
ヴァルは暗い吐息をついた。
リーゼはヴァルの手を引いて、壁際のカウチに座らせた。 そのとき初めて、彼のまとっている黒いコートに埃が筋を引いているのに気づいた。
「バルコニーへ上がってきたときについたの?」
ハンカチで拭いながら訊くと、ヴァルは微笑した。
「上がったんじゃなくて、下りたんだ。 横の建物に登って、屋根からここに飛び移った。 警察がまだ見張っているかもしれないから」
リーゼはぞっとした。
「落ちたら大変」
「船乗りは身が軽いんだよ」
そう言うなり、ヴァルはリーゼを引き寄せて膝に乗せ、うっとりとするキスを贈った。
その後、頬を重ね合わせたまま、ヴァルはしんみりと呟いた。
「レナーテ・グルマンか……顔を思い出せないんだ。 確かに見たはずなんだが。 奇妙な話だな、法律上はずっと妻だったのに。
正直言って、どうでもよかった。 君と暮らせないなら、何もかも。
君にまた逢えて、すべてが変わった。 イェリネクに命じて、円満に、一日も早く秘密結婚を解消しようとしていたんだ。
レナーテも同じことを考えていたとは知らなかった。 彼女の手紙は受け取っていない。 知っていたら渡りに船だったんだがな」
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