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表紙

金の声・鉛の道
―10―


 エルミーラはなかなか決心をつけられず、半泣きのまま帰っていった。


 その夜、ベッドに入ってから、リーゼは友達の恋を思い、溜め息をついた。
――エリーは大変だけど、駆け落ちしたいほど好きな人がいて幸せだ。
 私も恋人がほしいな。 恋の歌を歌うだけじゃなく、本物の彼が――
 リーゼの職場は女性ばかりで、たまに姿を見せる工場長はいい年のおじさんだ。 家庭持ちで子供が六人もいるそうだ。 仕事場に若い男性がいない上に、街で声をかけてくる男たちにも、すてきなのはこれまで一人もいなかった。
 もやもやする胸を抱いて、リーゼはぐるっと寝返りを打った。 そして、夢の中だけでも好きなタイプの若者が現れてほしいと念じた。
 髪の色、目の色、そんなのどうでもいい。 人並みの姿かたちで充分だ。 ただ、誠実さは欲しかった。 それに、きちんとした仕事をする真面目さも。 リーゼを見つめ、ただリーゼだけを愛してくれる、そんな男の子がこの世にいたら、今すぐ巡り逢いたかった。


 翌日の早朝、いつものようにエルミーラが下の通りに現れて、窓から顔を出したリーゼに手を振った。 一緒に仕事場へ行くために、毎朝こうして来るのだ。 リーゼもすぐ手を振り返し、ケープの紐を結びながら階段を下りた。
 グレーテが、慣れた様子でエルミーラに裏口から呼びかけた。
「おはよう。 お弁当できてるわよ。 さあバスケットに入れて。 それから中にココアとパンの用意がしてあるわ。 リーゼと軽く食べてってね」
 エルミーラは恐縮しながら、包みを受け取った。
「ありがとう。 いつもすみません」
「いいのよ、リーゼのを作るついでなんだから」
 若い盛りのエルミーラがいつも朝食抜きで家を出てくること、ときには夕食さえ口にできずにいることを、グレーテは知っていた。

 二人の娘は、台所のテーブルに坐って朝食を取った。 エルミーラは落ち着かず、口数も少なかった。 昨夜、家で何かあったんだろうかと、リーゼは密かに心配した。
 無口の原因は、間もなくわかった。 食事が済んで、仲よく並んで家を出て、二つ角を曲がったところで、不意にエルミーラが上ずった声を出した。
「ねえ、リーゼ」
「なに?」
 エルミーラは、喉に手を当てて、唾を飲み込んだ。
「あの、私、いえ、私達、これから駆け落ちするの」





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