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表紙

金の声・鉛の道
―7―


 それは、重い眼差しだった。
  街で見かけた可愛い女の子に青年紳士が送るような、浮気心を誘う視線ではなかった。
 暗い眼に釘付けにされたまま、リーゼはゴクリと唾を飲み込んだ。 喉が狭まって、息が苦しかった。
 数秒は経っただろうか。 男は充分にリーゼを観察し終わったと見えて、軽く頭を下げた。
 そして、改めて両手を窓にかけ、観音開きの窓ガラスを静かに閉め切った。 ゆっくりとカーテンが引かれた。

 はっと我に返って、リーゼも慌てて窓を下ろした。 それからベッドにふらっと座り込んだ。
 驚いた。 まだ胸がどきどきしていた。
 あの眼はいったい何だろう?
 好意には感じられなかった。 だが、敵意でもない。 洞窟のごとく虚ろだが、奥深いところに情念がうねっているような、あの眼は……。
 自分を落ち着かせるために、リーゼは窓辺にいた男性の全体像を思い浮かべようとした。
――ええと、年頃は二十一、二かしら。 まだとても若い感じだった。 濃い茶色の巻き毛がこう、額に乱れかかっていて、眼もビロードのような茶色で――
 きりっとした顔立ちだった気がする。 背筋がまっすぐで、気品のある姿だった。 だが、見つめた眼があまりにも強烈だったせいで、他の印象はぼやけていた。

 ふと思い立って、リーゼはよろけながら立ち上がり、手鏡に顔を映してみた。
 いつもより少し青ざめた子供っぽい顔が、そこにあった。 かわいいねえと言われたことはあるが、美人だと賞賛された経験はない。 それに、あの視線は美貌を褒め称えるようなものではなかった。
「変よね。 じろじろ見るようなもの、この顔のどこにあるの?」
 ガラスの中から見返す自分にそう尋ねて、リーゼは手鏡を置き、首を何度もかしげた。


 少しすると昼前になった。 気持ちが大分落ち着いたため、リーゼはいつも通り、小声で歌いながら階段を下りていった。
 食事室前には、もうボルツ氏がいて、リーゼを見ると顔を赤らめた。
「やあ。 最近は食べるだけが楽しみでね」
 アルムート・ボルツは、去年細君を病気で亡くしたやもめで、ジムナジウム(=学校)の数学教師をしていた。





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