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表紙

金の声・鉛の道
―6―


 それからお昼までは、自分の部屋でのんびり骨休めして過ごすことにした。
 リーゼのいる屋根裏部屋には、二つ窓があった。 斜めについた明かり取りの天窓と、通りに面した細長い引き上げ式の窓だ。 上にある天窓のおかげで、夕方遅くなるまでランプを灯さないで作業ができる。 だからリーゼは、ベッドに寝転んで少女向けの雑誌を読み、それに飽きると、脚のガタついた椅子に座って、繁華街で見かけた流行のドレスを思い出しながらスケッチして楽しんだ。
――六月に入ったらすぐ、誕生日が来る。 十八歳か……。 もし私がお金持ちのお嬢さんなら、こんなレースだらけの服をプレゼントしてもらえるかな。 それとも、真珠のネックレスか、白い革の編み上げ靴か――
 どれもみんな欲しいものだった。 でも、憧れているだけで楽しかった。 リーゼは、思いついたものを全部身につけた自分の姿を絵に描いて、立ち上がって壁に貼ろうとした。

 戸外を、まとまった足音が通り過ぎていった。 西へ出兵していく兵士たちの軍靴の音だ。 日曜でも戦争は関係ないから、と、気の毒に思いながら、リーゼは紙を手に持ったまま、長方形の窓を開いて道を見下ろした。
 アルプス越えに向かう小隊は、意外とのんびりしていた。 道の端に立って見送る娘から花を貰い、ボタン孔に挿していく若い兵士もいた。 ハンカチが振られ、楽隊が遠ざかり、靴音も次第に小さくなって、やがて町外れに消えていった。

 窓枠に手をついて、華やかな軍服姿が去っていくのを目で追った後、リーゼは一つ吐息をついて、体を起こそうとした。
 すると、真正面の窓が開いていることに、初めて気付いた。
 その部屋は、『マリツキー』の四階正面の貸し部屋だった。 一番いい場所なので値段が高く、なかなか借り手がつかなかった所だ。 好奇心を起こしてリーゼが眺めていると、白い袖が不意に突き出て窓の縁を握った。 勢いよく閉めようとしたらしいが、その動作は半ばで止まり、替わりに男の上半身が朝の光の中に現れた。

 それは、まだ若い男性だった。 ゆったりしたシャツの上に絹のベストをまとい、ピンストライプのズボンを身につけていた。
 上着を取ったときの紳士の平均的服装だ。 だが、リーゼの目を奪ったのは、上品だが地味な身なりではなかった。
 十メートルほどの通りを隔てて、二人の視線はぴたりと合った。 あまり強く見つめられたため、リーゼは魔法にかけられたようになって、目を逸らすどころか、まばたきをすることさえできなくなった。



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