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表紙

金の声・鉛の道
―5―


 翌朝、叔母のグレーテと共に教会から帰ってくると、通りを隔てた真向かいの建物で、雇い人たちが忙しく出入りしているのが見えた。
 そこは『マリツキー』という名前の小粋なカフェだった。 リーゼたち二人が店の正面に来たとき、たまたま女主人のベルタが出てきたので、グレーテが尋ねた。
「今日は早くから店を開けるのね」
 髪をまとめたピンを気にしながら、ベルタは陽気に答えた。
「違うのよ。 上の階に新しい借り手が見つかったの。 それが急な話で、模様替えが大変」
「ふうん。 どんな人?」
 ベルタは後れ毛をまとめて、ピンでぐっと押し込んだ。
「まだ会ってないの。 代理人が前金で三ヶ月分の家賃を払ってくれたから、お金には不自由してないんでしょう」
「いい借り手が見つかってよかったわね」
 うらやましげに、グレーテが呟いた。

 『マリツキー』は、四階のしっかりした煉瓦造りの建物で、二階のフロアを半分抜いて、天井の高いカフェに改装していた。
 三階と四階の一部は、個室を望む客のための部屋と、高級アパートになっている。 そこに新しい住み手がやってくるのだった。

 隣りのことはあまり気にせずに、リーゼはボンネットの紐を解いて裏口から入った。 『マリツキー』に住むような人種は、世界が違う。 リーゼがこつこつと一ヶ月かけて刺繍するプチ・ポワンのバッグを、簡単に買える連中なのだ。 誰が新しく住みつこうと、あまり関係なかった。

 一方、少し遅れて戻ってきたグレーテは、考えこんでいた。
「入居するのは男だって。 カフェに部屋を構えるなんて、遊び人かね」
「さあ。 私にはわからないけど」
 スカートの端に小さなかぎ裂きを発見して、リーゼは顔をしかめた。
「いやだ。 どこで引っ掛けたのかしら」
「ちゃんとつくろっておきなさいよ。 青い糸はあるかい?」
「ええ、裁縫箱の中に」
「若い娘は身だしなみをきちんとしとかないとね。 私はあんたのことを姉さんから頼まれたと思ってるんだよ。 だから堅気の結婚をして、地道な家庭を作ってほしいのさ。 姉さんと私にはできなかったからね、あんたにはちゃんと」
 リーゼは肩越しに振り返って、明るく微笑んだ。 すっきりした顎の線と、わずかに先のしゃくれた可愛い鼻が印象的な顔だった。 凄い美人ではない。 でも、いきいきとしたその表情は、道ゆく人の視線を止めさせる力があった。



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