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表紙

金の声・鉛の道
―4―


 料理を食堂へ運び、支度ができましたよ〜という合図のベルを鳴らすのは、リーゼの役目だった。
 他にも、石炭運びや暖炉の火起こし、階段の掃除など、できるだけ手伝った。 叔母の下宿屋は評判がいいが、家が小さいせいで、下宿人を置くのは四室が限度だ。 手伝いを雇う余裕も無いほど、やりくりが大変なのだった。

 その晩は、全員が降りてきて、そろって夕食を食べることができた。 まとまると、後始末が楽だ。
 ウィーンの五月は、まだ夜が寒い。 その晩も冷えて、十度を下回ってきたので、作りたてのシチューはみんなの胃袋を温めてくれた。
 汚れた皿を盆に山積みにして台所へ運んだ後、リーゼは改めて、グレーテと向き合った。
「お給料、少しだけ上がったの。 薔薇のつぼみを縫えるようになったのよ。 腕がよくなったから、五グルデン昇給」
「よかったじゃないか。 プチ・ポワンは難しいと聞いたけど、あんた案外器用だったんだね」
「まあね」
 笑いながら、リーゼは硬貨を何枚かテーブルに積み上げた。
「じゃこれ、今週の分」
 グレーテはすぐに掬い取って、エプロンのポケットに収めた。
「助かるよ。 まだ夜は暖房費がかかるから。 あんたも寒かったらちゃんと暖炉を焚きなさいよ。 お母さんの二の舞になったら大変だ」
 リーゼは頷いて、叔母の横に並んだ。 洗った皿を受け取り、布で拭いて棚に収めるために。


 最後の皿をしまったとき、玄関の大時計が間延びした音で鳴った。
「九時だわ」
「思ったより遅くなったね。 もうここはいいから、上に行って寝なさい。 明日は六時起きで教会だよ、いいね」
「はい、おやすみなさい」
 グレーテの頬にキスして、リーゼは欠伸を噛み殺しながら台所を出た。


 ランプを持って階段を上ると、踊り場の窓ガラスが揺れ、ヒューッという響きが伝わってきた。
 もう春で、街角には花売りの屋台が出ていた。 風も真冬の牙を失って、妖精のように家の周囲を舞い、若いリーゼを夢の世界に誘うのだった。
――眠い。 でもそれだけじゃない。 胸の奥がコトコトと小さな音を立てている。 何かが近づいてきてるんだ。 何か、身も心も震えるようなものが――
 それは、春の予感だった。 季節の春、そして、これから開ける人生の春の。



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