表紙目次文頭前頁次頁
表紙

金の声・鉛の道
―3―


 叔母のグレーテがやっている下宿屋が見えてきて、ようやくリーゼは速度を緩めた。
 日が沈む前に帰り着けた。 ほっとして心の余裕が生まれ、さっき聞いた歌が再び記憶に蘇った。

 リーゼは、一度聞いたメロディーをその場で覚えることができた。 昔からそうだった。 無理に記憶しようとしなくても、自然に口ずさんでいた。
 郊外に預けられて育ったから、小さいときは遠慮なく大声で歌っていた。 あまり楽しそうにさえずるので、『みそさざい』と仇名をつけられたほどだ。
 母は町で働いていた。 そして、月に一度か二度、土産を持って会いに来た。 母も子もその日が楽しみで、朝からそわそわしたものだ。
 馬車がゆるやかな丘を登ってくるのが見えると、いつもリーゼは転がるように迎えに走った。 気持ちが前に進んで、短い脚が追いつかなくて、本当に転ぶこともしばしばだった。
 そんなリーゼを、母のマルギットは膝を折り、両腕を広げて全身で抱きしめてくれた。 至福のひとときだった。 本当に幸せだった……

 その母が、街で流行した感冒で亡くなってから、五年になる。 あまり突然の出来事で、リーゼは母の死に目に会うこともできなかった。
 リーゼはまだ十三歳だった。 それでも、母が働いていた同じウィーンに親戚がいたから、まだ運がよかったのだ。 母の妹が、家政婦として長年面倒を見た老婦人から遺産の家を貰い、小さな下宿屋を開業していた。

 そこの屋根裏に小部屋を貰って、リーゼの新生活は始まった。 はきはきと明るく、いつも楽しげにハミングしている少女に、下宿人たちも叔母のグレーテも好意を持ち、かわいがってくれた。
 都会生活に苦労はあまりなかった。 ただ一つのことを除いては。
 ごちゃごちゃした家並みの中では、思い切り声を出して唄うことができなかったのだ。

 ずっと欲求不満だった。 たまに大声でわめきたくなることがあった。 夢の中で延々と歌っていて、自分の声で目が醒めたことさえあったのだ。
 だから、リンクが広大な空き地になったときは嬉しかった。 数日に一度は必ず行って、思う存分歌ってくる。 その後は全身がすっきりして、一段と元気がよくなった。


 バスケットをぶら下げて、リーゼは裏口に飛び込んだ。
 シチューの大鍋をかき回していたグレーテが、首だけ振り向けて言った。
「おかえり。 ソーセージは買えたかい?」
「ええ、叔母さん。 パンも、ほら」
「どれ」
 指でパン皮を押してみて、グレーテは満足した。
「いい焼き具合だ。 料理を分けるから、大皿を六枚出してきて」
「はい!」
 きびきびと、リーゼは棚に歩み寄った。



表紙 目次前頁次頁

背景:ぐらん・ふくや・かふぇ/ボタン:May Fair Garden
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送