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表紙

金の声・鉛の道
―2―


 それまでは、夕方の風が吹き、砂埃が舞うだけの殺風景な町外れだった。
 だが、リーゼが歌い始めたとたん、空気が変わった。 雲が切れ、太陽までが彼方に姿を現した。 そして、むせるような草原と、豊かにうねる大河が、夢の世界に見渡す限り広がった。

「若かった あの頃
 ふたりは河岸を歩いた♪」

 それは、自然そのものの声だった。 荒削りで技巧もほとんどないが、圧倒的な輝きで耳を圧倒した。

「水は甘くささやき
 風は愛を唄った」

 心の奥底から声を発するだけでは足りなくなって、リーゼは踊り出した。 曲に合わせて回りながら、両腕で大らかに拍子を取った。

「どこへ消えた あの水は あの風は
 そして ふたりの初めての恋は〜」

 一番の歌詞を歌い終わって、リーゼは名残惜しそうに立ち止まった。 残念ながら、二番は半分しか聞き取れなかったのだ。

「幸せだったあの頃
 ふたりは抱き合って踊った
 星は淡くまたたき……
 それから、ええと」
 あと一行がわからない。 仕方なく、飛ばして繰り返しに進んだ。
「どこへ消えた あの水は あの風は」
 カシャッという物音がした。

 リーゼは素早く振り返った。
 うっとりする夢の広がりは消え、壊れかけの廃墟のような壁が目に映った。
「誰?」
 鋭く問いかけたが、返事はなかった。 動く影も見えず、空き地はシーンとした沈黙を保っていた。

 しかし、リーゼの耳は人一倍敏感だった。 誰かか、何かが近くにいる。 野犬かもしれないし、浮浪者かも……。
 五月の太陽は、西の彼方で燃える火の玉になって、地平線へ駆け下りていた。 間もなく暗くなる。 もう帰らなければ危険だ。
 パンのはみ出たバスケットを胸に抱えこむと、リーゼは小走りに歩き出した。 賑やかな街を目指して。


 粗末なスカートの裾がでこぼこの地面を遠ざかり、もうじき道の角に吸い込まれるというときになって、ようやく男は壁の背後を離れた。
 そして、音もなくすべるように、幅広い空き地を突っ切って、リーゼの後を追った。




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