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表紙

薫る春  59



 登貴枝の反応を体で押さえるようにして、杉本が声を張った。
「そのことは親戚の方たちもわかってらっしゃるんじゃないですか? 遺産の替わりに生前贈与なさるって、昨日取り決めがあったばかりですから」
 平然とした杉本の横顔を眺めて、紗都は妙な気持ちになった。
――度胸が据わってるなー、このおばさん。 なんでこんなに落ち着いていられるんだろ――
「それでね、表に出て少し考えてみたんだけど」
 那賀子夫人が、静かな調子で口を切った。
「ここの跡継ぎは芳くんに決まりました。 今後は私のいい相談相手になってほしいから、この家に来る機会が増えると思うの。
 それで、杉本さんとはあまり気が合わないようなので、契約が切れる今年の末をめどに、他の仕事口を探してもらえると助かるわ」


 杉本の目が、ギラッと光った。 だが、焦って身を乗り出したのは、むしろ登貴枝のほうだった。
「えっ? 杉本さん、よく働いてるじゃないですか。 ご主人に死に別れて子供もなくて、急にこんないい勤め口を放り出されたら、かわいそうですよ」
「あら、杉本さんの事情をよくご存じね」
 那賀子は軽く皮肉で返した。
「うちに住み込んで五年。 長かったような、短いような」
 そして、さりげなく言い添えた。
「あのね、中庭の蔵なんだけど、さっき調べてみたら錠前の具合が悪いのよ。 明日修理させて、ついでに久しぶりに、中を専門の方に整理してもらって、目録を作り直すことにしたわ。 あそこには、先祖代々の貴重な書画骨董が、ぎっしり詰まっていますからね」


 初めて杉本の顔に亀裂が走った。 その手がいきなり漆塗りの座卓を叩きつけた。 凄い音がしたため、紗都はびくっとなって目を見張った。
 怒りにしゃがれた声が怒鳴った。
「いつから気付いてたんだ! こっのクソアマ!」








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背景:風と樹と空と
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