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表紙

薫る春  56



 豪快にシャコを口に運んでいた父の箸が、ふっと止まった。
 鋭くなった目が那賀子夫人に向いて、気持ちを確かめるようにまたたいた。
「お家乗っ取りですか?」
 時代劇みたいな言葉に、那賀子は閉口した。
「いえ、そこまでは……」
「それに近いかもしれません」
 弁護士が真面目に答えた。
 父は、ちらっと紗都を見やってから、身を乗り出した。
「わたしにできることがあれば、お力になります。 娘も首突っ込んでいるようですから」


 やがて相談がまとまった。 父は取りあえず、那賀子夫人を系列のホテルにかくまうことにした。
「くつろいでいらしてください。 すぐに御宅へ高宮をやって、どうなっているか調べさせます。 高宮は口の堅い男ですから、どうかご心配なく」
「心配どころか、感謝で一杯ですわ」
 ほっとして、那賀子は肩の力を抜いた。


 ぞろぞろと寿司屋の門を出るとき、紗都は那賀子にさりげなくくっついて囁いた。
「バイトのこと、黙っててくれてありがとうです」
 那賀子夫人は、ちょっと後ろめたそうな笑顔になった。
「言えなかったの。 ライジング・チェーンの佐藤CEOのお嬢さんが、うちの座敷で寝んでいるときに包丁で襲われたなんて」
「材木でつぶされるところだったし」
 横に並んだ江田が、小声で続けた。
「しっかし驚いたな。 君のお父さん大物だったんだ」
「声がデカいだけ」
 そう言い返しながらも、紗都はなんとなく嬉しかった。 初めて父を誇りに思った。 『大物』だからではなく、すぐ事情を飲み込んでテキパキと那賀子さんを助けてくれた、その頼もしさのせいで。


 ライジング青山ホテルに向かう車の中で、那賀子は溝口に電話して打ち合わせた。 溝口によると、杉本たちは広い屋敷中を探し回ったあげく、溝口にまで那賀子夫人捜索を頼んだという。 行方不明なら警察に通報したらどうですか? と溝口がわざと言うと、逆切れして、あんたがしっかり仕事しないからでしょう! と怒鳴られたそうだ。
「そうとう焦ってるな」
「これからどうするつもりかしら」
 那賀子が電話を切って、一息ついたとたん、持っている携帯から着信メロディーが響き渡った。








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