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表紙

薫る春  29


 一瞬、紗都には那賀子が何を言っているのかわからなかった。
 だが、江田にはすぐ理解できたようだった。 日に焼けた明るい顔をふっと真顔にして、那賀子をまっすぐ見詰め返した。
「調べたんですか?」
「佐竹さんが、やっとね」
 那賀子の声に疲れが混じった。
「人探し専門の探偵社っていう割には、手際が悪かったわ。 そもそも、探してる子が男か女かを間違えるなんて」


 男…… 紗都の口があいた。 ピリッと指が感電したようになって、大急ぎで江田の手を振り放した。
 え、えぇ〜〜! 本物の『かおる』って……この人〜〜?


 江田は、落ち着いた様子で両手を背後に回して組み、両足を少し離して立った。
 那賀子は、彼から受け取ったらしい名刺を財布から出し、少し離して眺めてから、悔しそうな口調になった。
「江田です、としか言わないし、この字で『かおる』と読むとは気付かなかったわ」
 江田は表情を変えなかった。
「確かに僕は、江田芳〔えだ かおる〕といいます。 学校でも、何て読むのってよく訊かれました」
「藍子さんが再婚して、江田という苗字になったのね?」
「はい」
「じゃ、なんで藍子さんの忘れ形見だって、私に言ってくれなかったの? 黙って仕事に来るなんて……」
「それは」
 江田の視線が初めて揺れた。
「金目当てだと思われたくなかったから」

 家政婦の杉本は、紗都と江田を交互に見ていた。 視線の動きがだんだん早くなり、やがて我慢できなくなって叫び出した。
「じゃ、この娘は何者です? 財産を乗っ取ろうとした詐欺師?」
「違いますよ!」
「ちがうって!」
 那賀子夫人と紗都がほぼ同時に叫び返した。
 那賀子はわざわざ紗都に近づいて、優しく肩に手を回した。
「この人は、私が頼んで、便利屋さんから二日間だけ来てもらったのよ。 本物のかおるさんの代役として。 だって、女の子だとばかり思い込んでいたんだもの」
「便利屋?」
 今度は杉本と溝口が口を揃えた。


 強ばっていた江田の背中から、力が抜けた。
「代役って……?」
 那賀子は少し乱暴に目をこすった。
「養子の代役よ。 なんとしても昨日と今日で、財産分与のけりをつけておきたかったものでね」






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