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表紙

薫る春  22


 那賀子夫人がのんびり構えているので、紗都はやっきになって咳き込むように続けた。
「昨夜、寝る部屋を間違えたんですよ。 それで、朝に元の部屋へ行ったら、そしたら、布団が包丁でメッタメタに切られてて」
 ようやく那賀子の顔が真面目になった。
「まあ、何てこと。 信じられない」
「本当なんです〜!」
 紗都の声が高くなった。 那賀子は、そそくさと立ち上がりかけた。
「じゃ、見に行きましょう。 そんなことされたなら、すぐ警察に通報しなくちゃ」
「いえ、あの」
 とたんに紗都の声が小さくなった。
「もうないんです」
 那賀子の動きが中途半端な位置で止まった。
「え?」
「あの、私が逃げ出してる間に、なくなっちゃったんです」
「何が?」
「切られた布団とか、包丁とか」


 夫人は、またゆっくりと腰を落とした。
「じゃ、部屋は空っぽ?」
「いえ……」
 ますます声が弱まった。
「布団はありました。 同じやつで、普通に敷いてあるんです。 傷とかなくて」


 那賀子夫人は、急に納得のいった様子で、紗都をじっくり観察した。
「わかった。 あなた、うなされたのよ。 昨夜、とても気分が悪そうだったから」
「ちがいます! あれは睡眠薬かなんか飲まされて、それで」
 那賀子夫人は、きっぱりと江田に向き直った。
「あなたも現場を見たの?」
 ちょっとためらってから、江田は説明を始めた。
「いや、正確に言うと、切られたところは見てないんです。 犯人が片づけちゃったらしくて」
「犯人って……まあ、あなたまで」
「ほんとなんです! 信じてください」
 紗都が必死になっているところへ、パタパタという足音が近づいて、ドアから長方形の盆を手にした杉本が入ってきた。
 その盆には、トーストと卵だけでなく、白い携帯電話も載っていた。 盆をテーブルに置くと、杉本は電話を持って那賀子に渡した。
「寝室でお電話が鳴っていましたので、確かめましたら佐竹さんでした。 緊急だそうで」
「ありがとう」
 受け取った那賀子は、すぐ耳に当てた。
「はい、吉崎です。 佐竹さん、わかりました?」
 それから、一分ほど黙って聞いていたが、いきなり顔色を変えて、バッと立ち上がった。
「ええ? まさかそんな!」









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