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表紙

薫る春  6


 紗都が玄関で待っていると、那賀子〔なかこ〕夫人は箒を片づけてから入ってきて、左にあるどっしりした靴入れからスリッパを出した。
「さあ、上がって。 こっちよ」


 なんかテレビの時代劇で見た大奥みたい、と、紗都は思った。 行っても行っても、廊下が続くのだ。 両横は襖になったりガラス戸に変わったりするが、基本的にどこも和室のようだった。
 やっと建物の端にたどり着いたと思ったら、そこから渡り廊下が伸びていた。 那賀子夫人は、いったん立ち止まって説明した。
「ここは、元庄屋の家でね、全部日本間なの。 だから離れを作って、洋間の食堂にしたのよ。 年がいくと、だんだん正座が辛くなってね」
 若くても正座はイヤだ。 必ず足がしびれる。 渡り廊下をさらに十メートルほど歩いて、ようやく洋室のドアに到着した。


 中は明るくて広々していた。 六人掛けのテーブルセットと、八人掛けの応接セットが、悠々と同居している。 ソファーのほうへ紗都を座らせ、自分はアームチェアーに腰かけて、那賀子夫人はポットでお茶を入れた。
「はい、お茶。 ええと、ケーキはどこだったか……ああ、ここ」
 テーブルの下から四角いお盆を引き出して、那賀子夫人はニンマリ微笑んだ。
「じゃ、事情を説明するわね。
 今日、私は七十七歳になったの」
「おめでとうございます」
 紗都が口の中でモゴモゴ言うと、夫人は鷹揚〔おうよう〕にうなずいた。
「ありがとう。 それでね、親戚を招待したの。 少ししかいないんだけど、これが厄介なのよ」
 そのとき、那賀子夫人はようやく気がついて、日よけ帽子を頭から取った。 すると、きれいな銀髪が現れた。
「三家族来るんだけど、みんな遠縁なの。 でも、私が死んだらうちの財産を分けてもらえるかと期待しているわけ」
 言いにくいことをズバッと口にする人だ。 紗都は困って、苦そうな緑のお茶に手を伸ばした。
 一口すすったとたん、反射的に声がでた。
「うまい!」
 クッ、地が出た。
 紗都は急いで言い直した。
「おいしいです、このお茶」
「そうでしょう? 静岡から特別に取り寄せたのよ、フフ。
 それはそうと、私は遠縁に、長年住み慣れたこの土地を切り売りされたくないの。 できればずっと、都会のオアシスとして残しておきたいわけ。
 だから、一人に全部贈ることにしたの。
 つまり、吉崎かおるに」
 私だ。 つまり、代理でそう名乗っているだけだが。
 紗都はぐっと緊張してきた。










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背景:風と樹と空と
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